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史上最年少の選手会長が残したもの。
池田勇太が作った大会と、その信条。 

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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photograph byYoichi Katsuragawa

posted2016/02/12 10:40

史上最年少の選手会長が残したもの。池田勇太が作った大会と、その信条。<Number Web> photograph by Yoichi Katsuragawa

2009年の初勝利から、昨年まで毎年勝利を続けている池田勇太は、現日本ツアーのまごう事なきトップ選手である。

池田「ここまで首を突っ込んだのは初めてだった」

「レオパレス21さんの目的は、大会を開催することでビジネスにつなげること。東南アジアではビジネスにゴルフは必要不可欠。インドネシアではお客様とゴルフをして、食事をするというのが当たり前にある。スポンサーさんにとって、トーナメントを開催することが、業務におけるプラス要因のひとつになる。一方で我々選手にとっては試合数が増えるという利点がある」

 池田はその後、4月に日本ゴルフツアー機構(JGTO)の事務局員を引き連れて、東京のレオパレス21本社に出向き、話を具体化させていった。アジアンツアーとの共同主管競技として実施するプランだった。

 ミャンマーには5月以降、雨季がある。コースは水没し一面“田んぼ”のようになったこともある。それでもなんとか秋には正式に新規大会として内定し、開催にこぎつけた。日の目を見て「ここまで首を突っ込んだのは初めてだった。多くの方に喜んでもらえてよかったと思う」と、池田も胸をなでおろしていた。

「やっぱり選手が思いを伝えに行かないと」

 大会の設立という仕事は本来、ゴルファーとしての役割を逸脱しているといっていい。

 しかし選手会長という職務を終え、池田には確信めいた考えがある。

「大会のスポンサーさんたちは確かに、大会を開催するにあたって、契約などの仕事をJGTOとするんですけど、選手が直接出向いて行けば喜んでもらえるし、納得してくれる、理解を示してくれる。やっぱり選手が思いを伝えに行かないと、意味がないと思っていたんですよ。だから僕は、選手会長になった時からどんどん出て行った」

 この3年間はラウンド中をのぞけば「苦しいことばかりだった」という。「人気がなく低迷している男子ゴルフに対して、ドン底から何をしたらいいの? という時期」だった。シーズン開幕前のファンイベントや、地方局を含めた電波での大会PR。スポンサー向けのゴルフ懇親会といった新しい企画も立案した。表に出ないところでは、選手会とJGTOとの連携を強化し、予算をスリム化して活動費に回す策も講じている。

【次ページ】 27歳という最年少での会長就任に逆風も。

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池田勇太

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