ゴルフボールの転がる先BACK NUMBER
史上最年少の選手会長が残したもの。
池田勇太が作った大会と、その信条。
posted2016/02/12 10:40
text by
桂川洋一Yoichi Katsuragawa
photograph by
Yoichi Katsuragawa
東京・赤坂にある日本ゴルフツアー機構(JGTO)のオフィス。その一角に、彼のデスクはあった。
エレベーターを降り、フロアの扉を開けて左手に進む。コピーやシュレッダーが並ぶ列のひとつの机。2015年まで3年にわたりツアーの選手会長を務めた、池田勇太の指定席だった。
今年1月、宮里優作にそのバトンを渡した池田。だが新会長就任の会見の場で、彼は「まだ引き続き検討している案件がある。選手会をサポートしながら、うまく続けられるようにしたい」と話した。
ツアー再興につながる“引き続きの案件”。そのひとつに、新規大会の立ち上げがあった。
2月はじめに行われた2016年シーズンの第2戦、レオパレス21ミャンマーオープン。今年から日本ツアーのスケジュールに加わったこの試合は、池田が船頭となって新設されたトーナメントなのである。
自ら大会開催のためにスポンサーを訪ねる。
話が動き出したのは昨年の1月6日だった。過去に試合のプロアマ戦で対面し、親交があったレオパレス21の深山英世社長らとの会合で、新規開催の話題が出た。
池田も最初は日本国内での開催を熱望していたが、賃貸事業、リゾート事業を営む同社の海外戦略、ASEAN諸国での展開を理解し、方向転換。2013年大会を最後にスポンサー離脱で開催を見合わせていた、アジアンツアーのある試合に目をつけた。
「少し前までミャンマーオープンというのがあったんです。アジアンツアーのチラハン会長はミャンマー人。もしかすると、すんなり話が進むかもしれません」
思い立ったが吉日。その後の動きは迅速だった。話が沸いた直後、1月にハワイでの米ツアーに出場していた池田は、帰国するなり同月23日にグアムへ飛んだ。同社が協賛している女子のローカル大会に顔を出し、男子ツアーの魅力や開催メリットについてプレゼンテーションを行った。