マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
野球部の「上下関係」が現在変化中。
命令と服従ではなく、敬意こそが絆。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byMiki Fukano
posted2016/01/12 10:30
体育会系の極点と思われている野球部も、やはり時代と共に変化しているのだ。
1970年前後の野球部は、上下関係の世界だった。
私が中学、高校、大学で野球部員だったのは1970年前後の10年間。
当時の野球部は、笑いながらベンチに座っているのが上級生、引きつった表情で気ぜわしく立ち働いているのが下級生。練習前の風景ひとつとっても、その“上下関係”ははっきりとわかったものだ。
当然、そのままのテンション・マックス状態で練習に突入すると、終始、上級生の“支配感”の中で練習が進行し、指導者の大人たちの威圧感ももちろん大きかったが、それ以上に、とにかく“上”が怖かった。
時は戦後20数年。
戦争の惨禍の中を生き抜いてきた男たちが父親、指導者の年代でまだまだ元気だった。
日常の中で、そういう大人たちに“教育”を受けてきたのが私たちの世代だ。恐怖と痛みで言うことを聞かせるのが最も手っ取り早く、しかも効果的であることを、私たち自身が身をもって体験させられたことも事実であろう。
集団スポーツ、チームプレーの野球といわれても、実は1対1の個人の勝負の要素がとても大きいのが野球である。
そこを乗り越えて勝利を勝ち取る手段を「精神力」に求めたのも、ある意味自然の流れだったようにも思う。
戦後、人気抜群だった野球を志そうとする大量の野球部員を“管理”するのに、上下関係を機能させることがいちばん都合が良かったということもあったろう。
野球の現場が、過剰とも思えるほどの緊張感に占められていたのも、そう考えると、ゆえあってのことだったのだろうと思う。
久保裕也は後輩にニックネームで呼ばれていた。
あれはいつのことだったか。
巨人から移籍して今季からDeNAで投げる久保裕也投手。彼が東海大学4年生の時、取材にうかがったグラウンドでのことだから、もう14、5年前にもなろうか。
当時、打線の主軸を打っていたある選手が、久保投手のことを「クボックル」とニックネームで呼ぶのを聞いて、驚いたことがある。
呼んでいたその選手は、久保投手の2年下だった。
練習前のざわざわっとした時間。
たわいない会話の中で、ごくごく自然に2つ上の先輩を「クボックル」と呼ぶ後輩と、そう呼ばれることになんら違和感も抵抗も感じていない様子で、むしろ快適さを覚えているように見える先輩がいた。