マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
野球部の「上下関係」が現在変化中。
命令と服従ではなく、敬意こそが絆。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byMiki Fukano
posted2016/01/12 10:30
体育会系の極点と思われている野球部も、やはり時代と共に変化しているのだ。
なめらかな会話から感じるつながりの実感。
驚いたあとに、いいな、と思った。
何がいいのかよくわからなかったが、下が上をからかうような嫌悪感がなかったのは間違いない。
なんだろう、とにかく、つながっている実感があった。
お前たちはなんのために練習をしているのか? と問われ、
「はい、先輩たちを優勝させるためです!」
と、そんなこと思ってもいないのに、そう答えないと怖いから無理してそう答えているバカバカしさみたいなものは、少なくともそこにはなかった。
野球部も変わっていくのかな。漠然となんとなく、そんなことを思いながら、平塚の在にあるグラウンドから帰ってきたのを覚えている。
命令と服従ではなく、敬意で上下をつなぐ。
ちょうどその頃から、高校野球、大学野球の選手の大多数がリトル・シニア出身者で占められてきた。
いわゆる野球の“塾”で育ち、上下関係の壁をさほど味わっていない選手たちが、そうしたフレンドリーな雰囲気をかもし出しているのではないか。そんな分析をされる方たちもいた。
事の真偽は私にはわからないが、要はつながっていればいいのだと思う。
「上下関係」という言葉は、聞こえる音が少々とげとげしく感じられるせいか、往々にして「命令と服従」をベースにした人間関係として使われる。
しかし実際には、選手と選手、つまり人と人が学年を超えてつながっていれば、それは上下関係なのであり、その分子結合の“手”が命令と服従ではなく敬意で出来ていてもよいわけであろう。
久保さんはニックネームで呼びたくなるほど愛すべき先輩なんです。
これは、後輩が久保先輩の人格を認めた敬意である。
あいつは2つ後輩だけど、試合でオレを何度も助けてくれる頼もしいヤツだから。
これも、後輩を野球選手として認めた敬意であろう。
敬意とは別に、むずかしいものではない。人を「すごい」と思う心である。別に、プレーのレベルの高さに対する「すごい」ばかりでなくてもよい。
あいつは野球は人並みだけど、絶対練習を休まないからすごい。
あいつは人に悪く言われても、自分は絶対人を悪く言わないのがすごい。
あいつは野球はそそっかしいけれど、毎日真っ先にグラウンドに出てくるのがすごい。
“敬意”は生活の現場のそこここにある。人と人が敬意でつながっていること。これこそが本当の意味の「チームワーク」なのではなかろうか。