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羽生結弦の新記録支えるB・オーサー。
彼も昔、フィギュアの革新者だった。 

text by

田村明子

田村明子Akiko Tamura

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photograph byAsami Enomoto

posted2015/12/22 10:50

羽生結弦の新記録支えるB・オーサー。彼も昔、フィギュアの革新者だった。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

GPファイナル、世界最高得点が発表された瞬間の羽生とオーサー。プライベートでも仲が良く、揺るぎない師弟関係で結ばれている。

時代をプッシュしてきた選手たち――。

 もっとも当時3アクセルを跳ぶようになっていたのは、オーサーだけではなかった。

 ハミルトンが引退した後も、オーサーはすんなりと世界の頂点には到達しなかった。1985年世界選手権はソ連(現ロシア)のアレクサンドル・ファデーエフに、1986年世界選手権はアメリカのブライアン・ボイタノに敗れて2位に終わる。いずれの選手も、3アクセルをフリーで成功させていた。オーサーは3年連続、2位だった。

「ミスター・トリプルアクセル」の誕生。

 実はすでに、この当時4回転に挑戦する選手たちもいた。

 サラエボオリンピックで3位だったチェコスロバキアのヨゼフ・サボフチック、そしてファデーエフ、ボイタノらも承認はされなかったものの、試合で4回転トウループに挑んでいた。(試合で公式に認定されたのは、1988年世界選手権のカート・ブラウニングが最初である)

「当時男子を引っ張っていたキーパーソンは、ヨゼフ・サボフチックとアレクサンドル・ファデーエフ、ブライアン・ボイタノと私の4人だった、と言って間違いではないと思います。それぞれが、違う形で技術のレベルをプッシュしていました」

 オーサーは、フリーで2度の3アクセルを入れる決意をする。そして1987年世界選手権では、当時世界初となったSPで1回、フリーで2回の3アクセルを成功させ、ついに世界タイトルを手に入れた。

 こうしてオーサーに「ミスター・トリプルアクセル」というあだ名がつけられた。

 この2度の3アクセルが勝敗をきめる時代というのは、90年代半ばに4回転の時代が本格的に到来するまで、実に10年近く続いたのだ。

 その意味でオーサーは羽生と同じように、一時代を築いた選手であった。

【次ページ】 そして30年後……コーチとして。

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