フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
羽生結弦の新記録支えるB・オーサー。
彼も昔、フィギュアの革新者だった。
posted2015/12/22 10:50
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph by
Asami Enomoto
11月のNHK杯、そして12月初頭のGPファイナルと連覇し、男子の歴代最高点を更新し続けてきた羽生結弦。このわずかな期間で、羽生は男子全体をあっさりと新たな時代へと導いてしまった。
SP100点以上、フリー200点以上、総合300点以上というのは、この採点システムが2004年に導入されてから、国際試合では羽生以外誰も達成できなかったことである。
バンクーバーオリンピック以降、男子はSPは90点台、フリーは180~190、総合で270から280を出せば勝てるという時代が、ここ数年続いてきていた。
だが羽生がソチオリンピックのSPで、4回転トウループ一度のプログラムで史上初の100点越えを果たす。あれから1年半あまり。羽生が4+3のトウループコンビネーションをマスターし、SPで2度、フリーで3度の4回転を成功させるようになってから、歴代最高点はいっきに20ポイントほども跳ね上がったのである。
スケートカナダで2位に終わってから、かつてなかったほど練習をしてきたという羽生のレベルアップにより、男子全体が彼に続いて技術の底上げをしていかざるを得なくなったのだ。
全体のレベルを押し上げるキーパーソンとして。
羽生のコーチ、カナダ人のブライアン・オーサーはこう語る。
「このスポーツは、常にレベルを押し上げるキーパーソンがいた。現在の男子では、それがユヅルとハビエル(フェルナンデス)の2人です」
フェルナンデスも、バルセロナのGPファイナルのフリーでは4回転を3度降りて、史上2人目となる200点越えを果たした。
「またパトリック(チャン)も違った意味で先駆者の1人。みんなが彼のようなスケーティングやスピンなどを目指して、上達してきました」
オーサーの言うように、フィギュアスケートが現在のレベルに達するまでに、段階を踏んで何人かのキーパーソンが技術をプッシュしてきたのである。
実はブライアン・オーサー自身も、その一人だった。