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羽生結弦の新記録支えるB・オーサー。
彼も昔、フィギュアの革新者だった。 

text by

田村明子

田村明子Akiko Tamura

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photograph byAsami Enomoto

posted2015/12/22 10:50

羽生結弦の新記録支えるB・オーサー。彼も昔、フィギュアの革新者だった。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

GPファイナル、世界最高得点が発表された瞬間の羽生とオーサー。プライベートでも仲が良く、揺るぎない師弟関係で結ばれている。

3アクセルの歴史を進めたオーサーの存在。

 羽生の得意とする3アクセルが初めて試合で成功したのは、1978年世界選手権でバーン・テイラーというカナダの選手によってだった。

 だがどのジャンプも、初めて成功させた先駆者と、それを武器にしてトップを争う選手の間にはタイムラグがある。テイラーは当時の必須種目であった規定が苦手だったこともあり、この大会では12位に終わっている。

 オーサーが世界で2人目として試合で3アクセルを成功させたのは、1979年カナダジュニア選手権。彼が17歳のときだったという。

「規定を9位で通過し、SP、フリーで1位になり、優勝したんです」

 当時のシングル競技は規定、SP(あるいはオリジナルプログラム、OPと呼ばれていた時代もある)、フリーの3部に分かれていて、8の字などを正確にエッジを使って氷の上でなぞる規定の比重が大きかった。オーサーはあまり規定は得意ではなかったものの、ジャンパーとしては、早いうちから頭角を現していたのである。

五輪初となる3アクセルを成功させたが……。

 翌シーズンシニアに上がったオーサーは、1983年世界選手権で初メダルを獲得して3位に入賞。1984年サラエボオリンピックでは、当時3年連続世界タイトルを手にして無敵だったスコット・ハミルトンと対決することになった。

 サラエボの氷上で、オーサーはオリンピック史上初の3アクセルを成功させた。だが規定で7位と出遅れていたため、SP、フリーと1位になるも、規定1位、SP、フリーで2位だったハミルトンに敗れ、銀メダルに終わった。ハミルトンは、3アクセルを持っていない最後の男子オリンピックチャンピオンになった。

「当時私にとって、かつためには3アクセルは必須でした。実際、スコットが(勝ち始めてから)SP、フリーとも2位に終わったのはあのオリンピックが初めてだった。彼にとってはギリギリのタイミング。私にとってはバッドタイミングでした」とオーサーは当時を振り返る。

【次ページ】 時代をプッシュしてきた選手たち――。

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