サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
東アジア杯で「結果」を追う無意味さ。
テストに徹せず、韓国と空しいドロー。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byTakuya Sugiyama
posted2015/08/06 11:20
意図する速攻が機能せず、苛立ちを見せるヴァイッド・ハリルホジッチ監督。東アジア杯優勝は消えたが、最終戦では確かな進歩の跡が見たい。
これは、受け入れ難い引き分けである。
いずれも日本開催で優勝を逃した2003年と2010年の大会では、当時の監督だったジーコと岡田武史への批判が渦巻いた。だが、ハリルホジッチ監督は就任から間もない。今大会の結果次第で、彼の能力が疑われることはないだろう。Jリーグの合間を縫ったタイトなスケジュールで参加しているのも、周知の事実である。
だとすれば、第1戦で起用しなかった選手をスタメンに並べ、韓国に真正面から挑んだ結果が敗戦だとしても──体力を温存しながらの戦いよりも、手にするものはあったはずである。成果ではなく課題が列をなしたとしても、選手の見極めという目標は達成される。
韓国に苦汁をなめさせられていた当時でも、この日より攻める意識はあったはずである。どうにかしてゴールをこじ開けようとする闘志や気迫を感じることができたから、我々は敗戦も受け入れることができた。
2015年8月5日の日本は、本当にリアリストになる必要があったのか。それこそがこの試合に臨むにあたっての、最良の選択肢だったのか。
そうではない。
受け入れ難い引き分けである。
攻撃面でのトライをほとんどしなかった試合で、日本は何を得ることができたのだろう──。