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DeNA山崎康晃が贈った魂のグラブ。
BCリーグの後輩、伊藤拓郎との絆。 

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村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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photograph byHidenobu Murase

posted2015/06/30 10:45

DeNA山崎康晃が贈った魂のグラブ。BCリーグの後輩、伊藤拓郎との絆。<Number Web> photograph by Hidenobu Murase

南部球場での伊藤と大事なグラブ。2011年の夏の甲子園では初戦で大谷翔平を擁する花巻東と対戦。先発した伊藤は4回途中5失点もチームは8-7で勝利した。

3年目の秋に戦力外、そしてトライアウトも実らず。

 この怪我から復帰した後も、調子が上がらぬまま3年目のシーズンが終わった。そして10月3日の夜。高卒3年目の北方、トラヴィス、古村、そして育成から支配下を勝ち取った冨田と、あの2011年に指名を受けた同期の投手全員と共に伊藤は戦力外通告を受ける。後に高田繁GMが、これまでのチーム作りに対して編成ミスがあったことを認め、その慚愧の念を口にするほどの異常事態だった。

「しょうがないですよね。過去の失敗や、環境を嘆いて落ち込んでいても前に進まない。トライアウトを受けて他でやった方が活躍できるのであればそれでいいじゃないかって、クビになった当初は全然マイナスな気持ちじゃなかったんですよね」

 だが2度のトライアウトを経ても獲得したいという球団は現れず、伊藤は群馬で再起を図ることを決めた。そして、その間に2014年のドラフト会議が行われていた。ベイスターズがドラフト1位で指名したのは、かつての帝京高校で1年上の先輩・山崎康晃だった。

「高校時代の(伊藤)拓郎は僕にとっては(後輩とはいえ)雲の上の存在でした。それでも『絶対に負けるもんか』と競争してましたけど、全然届かないというか、競争しても届くような存在じゃなかったですからね。そこは素直に敵わないなと思っていました」

 DeNAベイスターズの山崎康晃はそう言って懐かしそうに笑った。

 ルーキーながら開幕からストッパーという大役に抜擢された重圧もどこ吹く風、早々に「小さな大魔神になります」と自らハードルを上げた上で連日快投を演じ、前半戦のベイスターズ躍進の原動力となった(遠い目)。

「実質、拓郎がエースということはわかっていました」

 その強気の山崎が、高校時代には敵わないとお手上げになった後輩。伊藤はそれほどの存在だった。

「拓郎の身体能力はケタ違いでした。僕が通っていたトレーニングジムに後から入って来たんですけど、いきなり初日に僕よりひとまわり重い斤量を難なく挙げてしまうんです。最後の夏には僕が1番をつけさせてもらったんですけど、それでも実質、拓郎がエースということはわかっていましたからね」

 帝京高校時代、最速148キロのストレートとスライダーを武器にしていた山崎だったが、当時の帝京は石を投げれば140キロ台後半を投げる投手に当たるほど人材が豊富で、その最たる存在が1学年下の“怪物”伊藤拓郎であり、山崎の出番は決して多くはなかった。

【次ページ】 山崎「拓郎がプロに指名されるのは当然です」

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