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熱いサポーターと、熱い男の強い絆。
優勝請負人・那須大亮が語る浦和愛。
posted2015/06/23 11:30
text by
轡田哲朗Tetsuro Kutsuwada
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
2015年のJリーグは、'04年以来の2ステージ制が復活した。そのチャンピオンになったのが、浦和レッズ。20日のヴィッセル神戸戦を引き分けで終え、ファーストステージ優勝を決めた。開幕から抜群の安定感を誇った浦和は、リーグ戦の無敗記録を16まで伸ばしてきた。優勝決定までを無敗で乗り切ったのは、Jリーグ史上初となる。
浦和は'12年にミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任してから、一貫して3バックシステムで戦っている。その中央に位置するのが、那須大亮だ。開幕以来、出場停止の1試合を除く15試合にフル出場。身体を張って最終ラインを守り続けた。
那須にとって浦和は5つ目のクラブになる。そして那須は、横浜F・マリノスでリーグ優勝、ジュビロ磐田でナビスコカップ制覇、柏レイソルで天皇杯優勝。異なるクラブで日本の三大タイトルを制してきた“優勝請負人”でもある。2013年に浦和へ移籍後3シーズン目にして、念願のタイトルを手にした。
勝ちも引き分けも、全てが「感触のある試合でした」。
那須の加入以降の浦和は、惜しいところでタイトルを逃すシーズンが続いていた。それだけに本人は浦和での初優勝に「やっと、という気持ちはありますね」と少し安堵した表情を見せた。そして優勝の実感を聞くと、少し考えた後に一気に言葉を紡いだ。
「一昨年はナビスコカップ、昨年はリーグ戦と優勝のチャンスがあったんですけど、タイトルを手にするのはそんなに簡単なものじゃないと思っていたんで。このファーストステージを獲って思うのは、試合の中でチームが成長した実感があるということ。それが結果に反映されたと思いますね。
何と言ったらいいのか難しいけど、すごく感触があるんです。勝ちにしても、引き分けにしても、全てが感触のある試合でした。優勝争いという意味でも、昨年とは違った試合運びができていたと思います。もちろん昨年も優勝したかったけど、そんなに簡単じゃない。それが今年に生きたと思いますね」
もとより、苦境をバネに這い上がってきたサッカー人生の持ち主だ。
鹿児島県で育った那須は、中学では県選抜のセレクションに落選した。鹿児島実業高校3年時には全国制覇まであと1勝に迫りながら、高校選手権の決勝戦で敗戦。この時点でのプロ入りは果たせず、駒澤大学を経て2002年に横浜に入団した。