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浅田真央の前途には何が待つのか。
「スケートのない生活」から決断まで。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAsami Enomoto

posted2015/05/19 11:20

浅田真央の前途には何が待つのか。「スケートのない生活」から決断まで。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

スケートを始めたのは5歳の時。15歳でGPファイナルを制し、バンクーバー五輪で銀メダル、ソチ五輪では6位。世界選手権は昨年も含めて3度の優勝を果たしている。

「できるんじゃないかな、できないんじゃないかな」

 1年間、揺れ動いていた心境もうかがわせた。

「今こうして決断をして、試合に向けてやっている気持ちというのは変わりがなくて、100%で臨むつもりでやっています。でもそこに行くまでに『50%、50%』になったり、『90%、10%』になったりと、いろいろとやはり、『できるんじゃないかな、できないんじゃないかな』と繰り返してきました。でも今は、自分が持っている目標に向かって(練習を)やっているという感じです」

 目標の具体的な内容、今後の展望についての質問も続いた。

「今の目標としては、以前のようなレベルまで、去年の世界選手権のレベルまで、最低そこまでもっていかなければ試合に復帰できないと思うので、そのレベルまで戻すことが目標です」

「(平昌五輪について)今シーズン、スタートして練習をしていますけど、本当に何があるか分からないので、うまく行けば試合に出られるかもしれないですし、出られないこともあると思うので、今の時点でオリンピックというものは考えていなくて、今は、自分が持っている目標に向かってやっています」

「(復帰戦について)それはまだ練習に入ったばかりなので、ちょっと分からないです」

「(グランプリシリーズについて)試合については本当にまだ何も決まっていなくて、そうですね。自分の昨シーズンのようなレベルまで持っていくことを目指してやっています」

3度口にした「何があるか分からない」

 語り続ける言葉の中で、同じフレーズがしばしば出てきた。

「何があるか分からない」

 佐藤信夫コーチに言われたという分も含め、3度口にした。

 短い時間の会見の中で繰り返されたところに、率直な思いが込められているようだった。

 短期間離れたことはあるにせよ、これだけ長く、競技の場から離れたことはなかった。日々の生活もこれまで経験しなかった1年だ。

 不安があって当然だ。どこまで戻していけるのか、戻せたとしてどこまでいけるのか、確信を持てるはずもない。これまでも、練習の裏づけが自信となってきたのだから。

【次ページ】 離れていればこそ、改めて感じたスケートの楽しさ。

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