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浅田真央の前途には何が待つのか。
「スケートのない生活」から決断まで。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byAsami Enomoto

posted2015/05/19 11:20

浅田真央の前途には何が待つのか。「スケートのない生活」から決断まで。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

スケートを始めたのは5歳の時。15歳でGPファイナルを制し、バンクーバー五輪で銀メダル、ソチ五輪では6位。世界選手権は昨年も含めて3度の優勝を果たしている。

 会場の内外の空気が、集う人々の興奮を伝えているようだった。

 13時30分の開場を前に、受付には長い行列ができる。受付が済むまでに15分近くを要した。ゆうに200名を超えていたのではないか。

 会場の入り口付近では、各局のテレビカメラ、そしてその前で緊張した面持ちのアナウンサーが話している光景が見られる。

 5月18日、アイスショー「THE ICE」開催の記者会見の会場、「ベルサール六本木」の地下のホールは熱気に包まれていた。

 14時5分、主催者代表のIMGバイスプレジデント坂井秀行氏が入場。公演の概要を説明する。

 14時13分、上手側の扉が開く。すさまじい数のフラッシュとシャッター音が聞こえる。

「皆さんこんにちは、浅田真央です」

 壇上に立った浅田は、マイクを手ににこやかに挨拶の言葉を述べた。

「『あ、試合に自分は出たいのかな』と」

 2014年5月の会見で休養をとることを発表してから、およそ1年。

 先週、進退をめぐる記事がいくつも掲載され、ニュースでも報じられてきた。それを受けて会見を前に、この日ブログで現役続行への意志を公表していた。

 その上での記者会見だった。質疑応答では、勢い現役続行にまつわる質問が相次いだ。

「1年間休養してきたのですけど、自然と試合が恋しくなり、試合でいい演技ができたときの達成感をまた感じたいなと思い始めたのも、1つの理由です。それだけではないので、何とも言えないんですけど、今は試合に出場できる状態まで持っていくために、毎日練習をしています」

「自分の気持ちとしては、やはり復帰を目指してやっているんですけど、やはり『この先に何があるか分からない』とはコーチにも言われているので、『ハーフハーフ』ではないですけど……気持ちは変わったと思いますけど、この先何があるか分からないということで、うーん、うーん、何ですかね? 自分としてはもう大丈夫かなという風に」

 そう心境を明かすと、今日までの経緯を説明した。

「ブログにも今日載せたんですけど、3月に(佐藤信夫)先生に相談しに行き、5月から先生とともに練習を始めています。ソチオリンピックが終わって、世界選手権が終わってからというのは、私自身も『最後の1年にしよう』と思って頑張ってやってきましたので、やり切った気持ちが大きくて、スケートをまたやりたいなと思うことがなかったんですけど、やはり日が経つにつれて、スケートをやらない生活が長かったんですけど、その中でスケートを滑ったときに、やっぱり自分はスケートが欠かせないんだなと思うようになってきました。それから練習を重ねていくうちに、『あ、試合に自分は出たいのかな』と思い始めました」

【次ページ】 「できるんじゃないかな、できないんじゃないかな」

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