マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
巨人・高木勇人の高校、社会人時代。
阪神完封の男が“いい人”だった頃。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/04/10 11:00
力感あふれる投球フォームの高木勇人。阿部慎之助をして「言うことない」と手放しで称賛した強心臓の男は、遅い春を謳歌している。
岡本のあと、戸根を飛ばして高木の話をした。
1位・岡本和真は文句なし。将来どころか近未来のクリーンナップだと、もろ手を挙げて推したあと、2位・戸根千明より先に私が名前を挙げたのが、3位の高木勇人だった。
「ただし、もろ手を挙げてというわけにはいきません。私の中に、実は『?』が2つぐらいついているんです」
そんな切り出し方をしたせいで心持ち怖い表情になったように見えた、100人のファンたち。私が心配していたのは、高木勇人のピッチングがほんとによかったのが2014年のシーズン1年間だけだった、ということであった。
そのことが、まさに彼のアマチュア時代を象徴していたのだ。
最高峰を目指そうと志す者が掲げる「実績」とは、どんなに少なくとも2年は続けてコンスタントな成績を残すことである。プロを目指すというならば、そうでなくてはならないと私は頑なに信じている。
高校時代から速かった。社会人では“いい人”だった。
速かったといえば、高校の頃から速かった。
三重海星高のエースとして投げており、2年の秋には東海大会で準決勝に進み、その当時から140km台は当たり前のように投げていた。ややもすると甲子園でも投げていた投手と思い込みかねないほど、私の中では強い印象を残していたのだ。
細い体を「エイヤーッ!」としならせて投げ込んでくる速球と、とことん打者に向かっていく強気の投げっぷりには、そんな大物と錯覚させるほどの存在感があった。
その「エイヤーッ!」が結局、社会人野球時代の6年間にわたって彼を苦しめてきたのだと、今になってみれば腑に落ちる。
いつ投げたのか知らないが、いつのまにか付されるようになった「最速153km」の称号。だから、スピード出さなきゃ……。そんな背中の重さ、肩の重さとも闘ってきた2013年までの6年間だったのだと思う。
自分の都合で、自分のためだけに投げていればよいものを、他人の期待に応えたいがために、無理をして投げてしまう。そんな“いい人”なところのある若者だった。