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オシムがハリルJに口を閉ざす理由。
メディア不信と、両者の微妙な関係。
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byAFLO
posted2015/03/26 10:40
3月12日に日本代表監督就任して以来、精力的にJリーグの視察を続けるハリルホジッチ。初陣となる27日のチュニジア戦、どんな采配を見せるのだろうか。
戦火を逃れ、フランス人として第ニの人生を歩んだ。
一方、内戦でモスタルの自宅と財産のすべてを失い、自らも負傷したハリルホジッチは、戦火を逃れたフランスで苦難の時を過ごす。ボーヴェ(2部)の監督を短期務めた後は3年間仕事もなく、かつてのチームメイトであるアンリ・ミシェル(当時モロッコ代表監督)の推薦でラハ・カサブランカの監督に就任したのは1997年のことであった。以来、ほぼ一貫してフランスあるいはフランス語圏で活動している。家族と自身のために、フランス人として第ニの人生を歩むという選択は、彼にとって必然であったのではないかと思う。
「彼は有能だし、フランスで選手としても監督としても長い時間を過ごしていい結果を残した。性格も良く知られている。ときにあまりいいとは言えないにせよ……」とオシムは言う。
「日本にとっても彼のような人材はとても重要だろう」
パリ・サンジェルマンの監督時代のハリルホジッチは、オシムが述べるように一部メディアのネガティブキャンペーンにより「横暴で専制的」というレッテルを貼られた。
「しかし選手が恐れを抱いていたり、内気である場合には決して悪くはない。ときに彼らを鼓舞し、尻を叩いてでも戦わせねばならないときがあるからだ。その意味で彼は素晴らしいモチベーターであり、日本にとっても彼のような人材はとても重要だろう。日本でうまくかつ確実に成功できると思う」
さらにオシムはこう続ける。
「日本にはガイドが必要だ。日本は多くの選手がヨーロッパのクラブでプレーし、すでにそれなりのキャリアを積んでいるし、自分の将来がどうなるかを具体的に考えている。そうした選手たちを、そのときどきに適切な方向に導ける指導者が必要であるからだ。たとえば今はサッカーがすべてであっても、そこから先には別の人生があるということを。
サッカーは彼らにすべてを与えた。檜舞台でのプレーの機会もそうだし金銭的なメリットもだ。いろいろなところを旅することもできた。そして彼らは何ものかになった。国民的な英雄にだ。それらすべては、彼らがサッカーから受けた恩恵だ。
ハリルホジッチはそうしたことを良くわかっている。それが何を意味するかを。だから彼は、望ましい環境を整えようと試みるだろう」
ヴァイッドを監督に選んだ日本の選択は、悪くはなかったと私も思っている。