サムライブルーの原材料BACK NUMBER
任務は、最愛のクラブを離れること。
今もセレッソのために戦う柿谷曜一朗。
posted2015/03/26 10:35
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
AFLO
若いうちの苦労は買ってでもせよ。
ランドセルから学生カバンに変わっていつしか、父親に「若いときに苦労することは必ずや将来の肥やしになるんだぞ」と事あるごとに聞かされた。決まって次に続く苦労自慢に移ると“それって自分は苦労したって言いたいだけでしょ”と心のなかでよく舌打ちしたものだ。
でも、今となっては言葉の意味をようやく、ちょっとだけ理解できるようになった自分もいる。「そんなもんは苦労のうちに入らん」と鼻で笑われるだろうが……。
では、サッカー選手が「買ってでもする苦労」とは。
思うに、海外移籍。言葉も文化も違う異国に飛び込み、プレーして成功を収めることは簡単ではない。現に、才能ある若者が夢なかばで帰国する例も少なくない。
今、海を渡ってプレーする選手たちは数多くいる。苦労と感じるかどうかは人それぞれの価値観であるし、本人に聞いていない以上こっちの思い込みにすぎない。しかし出場機会に恵まれていない、結果が出ていないとなれば傍目には苦労として色濃く映る。
昨夏、ブラジルW杯後にスイスの強豪バーゼルに移籍した柿谷曜一朗も、そう見える。カップ戦でハットトリックという話題もあったとはいえ、スイスから良いニュースはなかなか飛び込んでこない。代表でもアギーレジャパンから外れ、ハリルジャパンでも今回の2連戦は招集されないバックアッパーどまり。1年前、メディアでよく躍っていた「柿谷」の文字も、今ではなかなか目にしなくなった。
だが、彼がこのまま海外で忘れられた存在になるとは思っていない。どうしても思えない。何故なら、柿谷には成すべき使命があるからである。
「僕がサッカーを始めたきっかけは……」
つい最近、そんな柿谷に関する記事を目にした。
柿谷本人の申し出により、セレッソ大阪のホームゲームでは毎試合100席分「YOICHIROシート」を用意するのだという。子供の招待が主な目的であるようだ。
セレッソの公式サイトには、柿谷のコメントがこうつづられている。
「僕がサッカーを始めたきっかけは、たまたまセレッソの選手に出会って、手を振ってもらったことからでした。そこからセレッソのスクールでサッカーを始めて、ずっと成長させてもらってきました。一人でも多くの子供たちがスタジアムに来て、そういうきっかけを作ってくれたら嬉しいです」