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オシムがハリルJに口を閉ざす理由。
メディア不信と、両者の微妙な関係。
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byAFLO
posted2015/03/26 10:40
3月12日に日本代表監督就任して以来、精力的にJリーグの視察を続けるハリルホジッチ。初陣となる27日のチュニジア戦、どんな采配を見せるのだろうか。
オシムとハリルホジッチの微妙な距離感。
日本での報道をすべて確認したわけではないが、私が知る限りでも一部はかなり偏向がかかっていたように思う。イビチャとヴァイッドが近しい関係にあり、後者が前者の薫陶を受けた弟子であるかのような印象を、読者に与えようとしているようだった。
だが、ふたりの間にそこまでの親近性はない。むしろちょっと距離があるな、あるいはイビチャがヴァイッドに対しては少しを距離を置いているな、というのが以前からの私の印象だった。というのもたとえばピクシー(ストイコビッチ)やスシッチ(前ボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督)、バズダレビッチ(現ボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督)、カタネッツらかつての教え子たちを語るときの様子や、カタリンスキー、スコブラーら同世代を語るときの様子と、ハリルホジッチについて語るときの様子が微妙に異なっていたからである。
ひとつには、ハリルホジッチがボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督への就任を断ったことが、ふたりの関係をより醒めたものにしたのかも知れない。結局、サフェト・スシッチの後任にボスニア協会が選んだのは、オシムの直系そのものであるメシャ・バズダレビッチであった。
同じ国に生まれ育ちながら、交わることはなかった。
イビチャとヴァイッド、ふたりの人生は、同じような経緯を辿っていながら直接的に交わってはいない。同じ国の出身ながら、オシムが生まれ育ったのはイスラム文化圏のサラエボ、ハリルホジッチはクロアチアの影響が強いカトリック圏のモスタル。所属したクラブもサラエボのFKジェレズニチャルとモスタルのヴェレジュ・モスタルであった。
そして11歳というふたりの年齢差は、ユーゴ代表において彼らをチームメイトにも監督と選手という関係にもしなかった。またオシムは8シーズン、ハリルホジッチは7シーズンをフランスでプレーしながら、ハリルホジッチがナントに移籍した'81年には、オシムはすでに現役を引退し、ジェレズニチャルで監督の仕事に就いていた。
さらに戦争の経験もふたりは少し異なっている。サラエボ包囲戦の間、祖国に戻れずアテネから家族の安否をずっと気遣っていたオシムは、2011年にボスニア・ヘルツェゴビナが国際試合出場停止処分をFIFAとUEFAから受けた際に、難しい国内の調整役を引き受けて難局を見事に乗り切った。恐らくはオシムただひとりにしか成しえないことであった。