サムライブルーの原材料BACK NUMBER
まだまだ若い、いろいろとトライ。
遠藤保仁が語った「意欲と度胸」。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byTakuya Sugiyama
posted2015/02/05 10:30
国際Aマッチ出場数152は世界歴代14位。現役ではイケル・カシージャス(スペイン)の160に次ぐ数字だ。
出場した150と同じくらい大切な、出られなかった試合。
遠藤保仁の原動力――。
代表で試合に出た数は「150」にのぼるが、実は試合に出ていないときの思いが、代表での彼をつくっていったと筆者は解釈している。
ジーコジャパンになって初めてA代表に呼ばれ、22歳9カ月で初出場を果たした('02年11月アルゼンチン戦)のも特別早い代表デビューではなかった。ジーコジャパンではベンチに座る機会が多く、2005年から翌年のドイツW杯までの1年半は26試合に呼ばれ、14試合が出番なしだった。ドイツW杯ではフィールドプレーヤーでただ一人出番がなかったことは有名な話である。遠藤にとってメモリアルゲームとなるイラク戦を眺めながら、以前にインタビューした際の言葉がふと思い出された。
「ジーコジャパンのときに一番感じたのは、ピッチに立つか立たないかでどれだけの差が出るかということ。自分の評価がものすごく変わるというのも痛いほど感じたし、ピッチに立つために何をしなきゃいけないか、そのことばかりを考えていた」
「監督に合わせられる選手が、一番賢いとは思う。でも合わせるだけじゃダメで、それにプラスしてチームのためにどれだけ働けるか」
自分は監督に何を求められているのか。
己を持ったうえで、オシム色にも岡田色にも、ザッケローニ色にも染まろうとした。そして今回のアジアカップではアギーレが課したインサイドハーフという役割を能動的に受け止めて、自分のやり方でその期待に応えようとしたのだ。
遠藤は、いまでも全力で信頼を勝ち取ろうとしている。
そう、アギーレ色の遠藤保仁。それが評価されているからこそ、先発で起用されたのだと言える。そしてまた、チームのために働く精神というものを肝に銘じてきた。
初戦のパレスチナ戦、彼の先制弾が攻撃の口火となってゴールラッシュを生んだ。風下に立ち、攻めあぐむチームにシュートを打つ積極性を自ら率先して示した。取材エリアで語った彼の言葉が胸に残った。
「チームとしても自分としても、良いスタートを切れたのが一番。それに、こういう大会は信頼を勝ち取らないとピッチに立てない。そういう意味で個人的にも大きなゴールだったと思っています」
指揮官からの信頼、チームメイトからの信頼。
いくらキャップ数を日本で最も重ねていようとも「自分が試合に出て当然」などという気持ちは彼にはない。いまでも全力で信頼を勝ち取ろうとしていたのだ。