オリンピックへの道BACK NUMBER
町田樹、引退の言葉に思い出すこと。
自ら培った精神力と「普通の感覚」。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2015/01/13 10:40
高橋大輔の引退後、日本男子を背負って立つ1人だった町田樹。彼の第二の人生が実り多いものであることを多くの人が祈っている。
五輪1年前、ソチへ行けるという思いは30%だった。
ソチ五輪の1年前に、町田は「僕の位置からでは出られるかどうか厳しいけれど、ソチを目指し、自分を信じて頑張りたい」とどこか自信がなさそうに話していたことがある。
ソチ五輪のあと、町田にそのことを尋ねると、彼はこう答えた。
「1年前の僕は、100%ソチに行けると信じていたかというと、まったくそんなことはなくて、40%か50%、いや、30%くらいだったかな、けっこう低かった。でも今シーズンのショートプログラムのテーマじゃないけれど、自分の運命は自分で切り拓くものなんだ、オリンピックに出るのも出ないのもすべて自分次第だということに気づいたんですよ。すべては自分の頑張り次第」
そしてこう続けた。
「文字通り死ぬ気でオリンピックを目指そうと決意したのが1年前でした」
その言葉のとおり、「死ぬ気で」、歩んできた1年だったのだろう。そう思った。
大学院の受験勉強、卒業論文とスケートの両立。
町田は独特な言葉づかいや物事の捉え方から、「氷上の哲学者」と呼ばれることがあった。「町田語録」として、言葉がそのときどきに話題にもなってきた。
たしかに彼の言葉は異彩を放っていた。だが今振り返ると言葉そのものよりも、感じ取れる精神力の強さこそが思い浮かんでくる。
今シーズンもそうだ。
早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程2年制の入学試験があったのは、スケートアメリカ出場のために出発する直前。合格の通知を受けたのは大会期間中のこと。
一般入試での合格である。受験のための勉強にも相当のエネルギーを割いたはずだ。一方で、スケートの練習をし、プログラムを仕上げる日々がある。しかも「第九」だ。受験勉強との両立も、まさに必死の取り組みだっただろう。受験勉強に限らず、シーズン中は卒業論文の執筆も抱えていた。全日本選手権の晴れやかな表情は、全力を尽くしてきたからこそだったのだ。