スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
国交正常化とキューバ人選手。
~超大型契約は終わるのか~
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byGetty Images
posted2014/12/27 10:50
2014年のオールスターゲームで、キューバ出身選手が大集合したひとコマ。左から10番がアレクセイ・ラミレス、79番がホゼ・アブレイユ、52番がヨエニス・セスペデス、54番がアロルディス・チャップマン、66番がヤシエル・プイグ。
キューバ革命前後には、亡命者が急増。
第2の流入期は、キューバ革命前後だった。いうまでもないが、この時期には亡命者の数が急増した。選手も亡命したが、家族に連れられて幼少期にアメリカへ渡り、のちに野球選手となった例も少なくない。
マイク・クエイヤー('59~'77。投手。通算185勝)、ルイ・ティアン('64~'82。投手。通算229勝)、トニー・オリバ('62~'76。外野手。通算1917安打。220本塁打。ツインズの主軸)、トニー・ゴンザレス('60~'71。外野手。通算1485安打。'67年には3割3分9厘)、ベルト・カンパネリス('64~'83。遊撃手。通算2249安打。盗塁王6回)、トニー・ペレス('64~'86。三塁手、一塁手。通算2732安打。379本塁打。キューバ出身者では唯一殿堂入りした)は、この時期の亡命者だ。
一方、ラファエル・パルメイロ('86~2005。一塁手。通算3020安打。569本塁打)やホゼ・カンセコ('85~2001。外野手、指名打者。通算1877安打。462本塁打。'88年には史上初の40本塁打/40盗塁を達成)は子供のころ、両親に連れられてアメリカへ亡命した。ふたりとも素晴らしい成績を残したが(3000本安打+500本塁打の同時達成者は、ハンク・アーロン、ウィリー・メイズ、エディ・マレーとパルメイロの4人だけだ)ステロイド使用が祟って殿堂入りは果たすことができなかった。
3つめのエポックはソヴィエト崩壊。
エポックとなった時期はもうひとつある。ソヴィエト連邦が崩壊し、キューバが世界最貧国のひとつに転落した1991年以降の時期だ。この時期に亡命したのは、レイ・オルドニェス('96~'04。亡命したのは'93年。遊撃手。守備の名手。ゴールドグラヴ3回)、リバン・ヘルナンデス('96~2012。投手。通算178勝)、オルランド・ヘルナンデス('98~2007。投手。通称エル・ドゥケ。リバンの異母兄。90勝65敗)といった選手たちだ。リバンは亡命先にドミニカ共和国を選び、オルランドはコスタリカを選んだ。こうすれば、MLBドラフトの対象とはならず、FA選手として高額の契約金を手中に収めることができるからだ。実際、リバンはマーリンズと4年総額450万ドルの、オルランドはヤンキースと4年総額660万ドルの大型契約を結ぶことができた。