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国交正常化とキューバ人選手。
~超大型契約は終わるのか~
posted2014/12/27 10:50
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph by
Getty Images
アメリカとキューバが国交正常化に向けて動いている。キューバ革命の成功が1959年。キューバ国内におけるアメリカ資産の凍結が'60年。アメリカ側からの通商停止(経済封鎖)が同じ年。ピッグス湾事件が'61年。
駆け足でおさらいするとおよそこんな感じだが、野球の世界でも表向きは過去50年以上、断絶状態がつづいていた。
だが、これが有名無実だったことは周知の事実だ。経済封鎖のさなか、キューバ人選手はリスクを冒してでもアメリカへの亡命を試みた。海難に遭ったり、逮捕されて投獄されたりする危険もものかは、彼らは大リーグでのプレーを強く望んだのだ。
いうまでもないが、キューバには野球の逸材がごろごろ転がっている。ごく最近の例でいっても、2013年ナ・リーグ新人王ホゼ・フェルナンデス(投手)と、'14年ア・リーグ新人王ホゼ・アブレイユ(一塁手)の名前が浮かぶ。'10年にレッズ入りしたアロルディス・チャップマン(投手)、'12年にアスレティックス入りしたヨエニス・セスペデス、'13年にドジャースで旋風を巻き起こしたヤシエル・プイグの名を加えてもよい。
キューバ人選手の渡米は1871年にまでさかのぼる。
この傾向は、いまにはじまったことではない。もともと、キューバは野球の宝庫だった。キューバ革命が起こる前は、アメリカとの関係も悪くなかった。球史を振り返ると、古くは1871年に、スティーヴ・ベランという選手がナショナル・アソシエーションに在籍した事実がある。ベラン以降、大リーグに入団した選手の総数は186人で、そのうち90人近くが国交断絶前に渡米している。
ただ、この時期は大スターが少ない。オールスター級の選手といえば、「ミスター・ホワイトソックス」とも「死球王」とも呼ばれたミニー・ミノーソ(外野手。大リーグ在籍=1949~'64。'76年と'80年にもプレー。オールスター出場9回)やトニー・テイラー(二塁手。大リーグ在籍=1958~'76。通算2007安打)あたりに限られる。