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J1上位陣が次々と敗退した天皇杯。
意外と知らないカップ戦の意義とは? 

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細江克弥

細江克弥Katsuya Hosoe

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posted2014/10/11 10:50

J1上位陣が次々と敗退した天皇杯。意外と知らないカップ戦の意義とは?<Number Web> photograph by AFLO

今年元日の天皇杯決勝では、横浜F・マリノスが7度目の優勝を飾った。一発勝負ゆえのドラマ性は、これからも名勝負を生み出し続けることだろう。

ロイ・キーンがファーガソンの目に止まった日。

 こんな事例もある。

 元アイルランド代表でマンチェスター・ユナイテッドの中核を担ったMFロイ・キーンは、複数のクラブのセレクションで「不合格」の烙印を押された選手だった。

 彼がアイルランドのクラブから古豪ノッティンガム・フォレストに移籍したのが1990年夏。クラブは2年後の1992-1993シーズンで残留争いに敗れて2部降格が決定し、キーンはブラックバーンへの移籍がほぼ確定していた。

 しかし、契約目前でマンチェスター・ユナイテッドから横槍が入る。名将アレックス・ファーガソンからの一本の電話で、キーンはユナイテッドへの移籍を決断した。

 ファーガソンがキーンの獲得に動くきっかけとなったのが、1991-1992シーズンのリーグカップ決勝だった。マンチェスター・ユナイテッドは、キーン擁するノッティンガムを苦戦の末1-0で下すのだが、指揮官の目には中盤で血気盛んに戦うファイターの姿が焼き付いていた。もしかしたら埋もれていたかもしれない才能は、リーグカップを決勝まで勝ち上がったノッティンガムの下克上によって、引き上げられたのである。

チームや地域、選手のサッカー熱を高める大会に。

 元日決勝の天皇杯には、サッカーファンの記憶に残る数々の名勝負があった。新たな1年の初めに、国立競技場という神聖な舞台でタイトルを争う――。そうした雰囲気が特別な一戦を一層きらびやかに演出したことは間違いない。

 ただし、それが形を変えて「勝つべきチームが勝てない大会」になったからといって、存在意義が失われるものではない。

 アップセットやジャイアントキリングの可能性は、その時点で「マイナー」に属するチームや地域、選手個人のサッカー熱を高める上で何よりも有効である。スケジュールの調整など様々な課題を残していることは間違いないが、大会そのものの価値を疑うのではなく、伝統や歴史を維持しながらサッカーの楽しみ方を増すというポジティブな意識で、その変化を見守りたい。

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