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W杯前の闘莉王の言葉が頭をよぎる。
本当の「日本のサッカー」とは何か?
text by
西川結城Yuki Nishikawa
photograph byGetty Images
posted2014/07/11 11:55
ザッケローニに率いられた4年間の冒険は、W杯のGL敗退で終わりを告げた。次期監督の人選でもパスサッカーの継続が条件としてあがっているが、「日本のサッカー」とは何なのかについて今こそ議論が必要だ。
あれだけ「攻めていく」と言っていたにもかかわらず……。
日本は今大会、あれだけ鼻息荒く「攻めていく」姿勢を露わにしながらも、それが体現できなかった。
コートジボワール戦、誰もが重要だと認識していた初戦のピッチで、日の丸の戦士たちが見せたプレーに目を疑ってしまった人も多いだろう。意気込みとは裏腹に、あまりにも消極的だった90分間。闘莉王が話していたとおり、一つの失点で腰が引け、すぐに追い打ちを食らってしまった。
のちに選手たちは皆、「相手をリスペクトしすぎていた」と口々に述べ、ザッケローニ監督も「メンタル面でネガティブだった」と振り返った。
サッカーは殴り勝つことだけが勝利の条件ではない。
我々が狩猟民族ではなく、元々は農耕民族だったということが直接の原因であるかどうかはわからない。
しかし、考えてみてほしい。なりふり構わずリスクを冒し、殴られても殴り返すというのが日本人の本来のメンタリティなのだろうか。それとも、耐えに耐えながら相手の隙を窺うことが、我々らしい姿なのか。思わずそんな考えが、頭をよぎった。
サッカーは何も“殴り勝つ”ことだけが勝利の条件ではない。今回のW杯でも、前からのプレスがかからなければ、少し引いて陣形をコンパクトにしつつ、組織的な守備で対抗してもよかった。4年前の“守り耐えて勝つ”スタイルとまではいかなくても、選手たちがもっと柔軟に、より組織的にプレーすることはできたはずだ。
確かに大会前から、主将の長谷部誠は「南アフリカでの戦いを否定しているわけではない」と何度も発言していた。しかし結果的に今大会の日本は、守備的なサッカーとネガティブな姿勢を混同していたような気がしてならない。
世界を相手に、時間帯によってはディフェンシブに振る舞う。それは消極的なスタンスどころか、現時点での強豪国との実力差や日本人の国民性に鑑みれば、自然と自分たちの“耐える力”を発揮できる戦い方だったのではないか。大会前にその判断と、それに準じた人選をしていなかった時点で、日本は本当の意味で日本らしい戦いをする素地がなかったのかもしれない。