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コートジボワール“最速”の男。
ジェルビーニョはいつも裸足だった。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2014/05/26 10:40
今季はローマでチーム2位の9得点をあげ、ロマニスタたちの歓声を浴びたジェルビーニョ。ル・マン時代には松井大輔とチームメイトだったことも。
スパイクをもらうための選抜テストがあった。
179cm、65kgのジェルビーニョを近くで見ると、驚くほど痩せっぽちだ。
細い体躯に、アフリカの強さが詰まっている。
少年時代、ジェルビーニョはまともな靴を履いたことがなかった。
「アフリカじゃサッカーを始めるのも、続けるのも難しい。皆と同じようにいつも裸足だったから、うっかりガラスの欠片を踏んだときはそりゃあ痛かったさ」
後のジェルビーニョであるジェルベ・ヤオ・クアッシ少年が、土埃舞う郷里アニャマを離れ、南部にある旧首都アビジャンのクラブ、ASECミモザの育成部門“アカデミア”に入ったのは、11歳のときだった。
アフリカ有数のサッカーエリート養成機関として知られている同クラブのアカデミアは、ヤヤ&コロのトゥーレ兄弟やFWカルーなど、多くの代表チームメイトも輩出してきた。
そこでは、毎年多くの子供たちがふるいにかけられた。練習用スパイクを支給してもらうには、年に1度の選抜テストを3回パスする必要があった。
スパイクとユニフォームをもらえるようになった14歳のとき、ジェルベ少年はブラジル人コーチから、ジェルビーニョというブラジル風に呼ばれるようになっていた。
ジェルビーニョは靴を履けるようになっても、自分の武器であるスピードをさらに上げるため、砂の上を裸足で走るトレーニングを続けた。
ローマで「永遠の都のフレッチャ・ネーラ」に。
欧州へと渡ったジェルビーニョは、リールでフランス王者になった。ロンドンの水に馴染めず、アーセナルでは不振をかこったが、リール時代の恩師ガルシアを慕って昨夏ローマへ移籍した彼は今季通算12得点を挙げ、「永遠の都のフレッチャ・ネーラ(=黒い矢)」として完全に甦った。
「彼はローマで自信をつけた。代表にとっても本当に重要な選手だし、われわれのグループリーグ突破はノルマだと思っている」
指導経験の浅い代表監督ラムシにとっても、ジェルビーニョのスピードを生かしたカウンターの速攻は、需要な攻撃プランの一つだ。
コートジボワールの最速アタッカーは、ベストリミットである体重65kgを維持して大会に臨む。