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クラッシュ・ギャルズの伝説再び!
あの傑作ノンフィクションが文庫化。 

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posted2014/03/28 10:30

クラッシュ・ギャルズの伝説再び!あの傑作ノンフィクションが文庫化。<Number Web> photograph by Sports Graphic Number

『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(文春文庫) プロレスを知らない人にも是非読んでいただきたい、傑作ノンフィクションである。

“NYの帝王”サンマルチノと人種問題。

清野 「日本以上に都会と田舎の差が激しいですからね、アメリカは」

柳澤 「ええ。アメリカと比べると、日本は東京と地方の差なんてないも同然です。サンマルチノの話なんですが、彼がなぜニューヨークで“帝王”と呼ばれていたかというと、彼がイタリア人だったからです。ニューヨークにはイタリア人がいっぱい住んでいたんですが、当時、アメリカにおけるイタリア人は肉体労働者が多くて地位が低かった。プロレスも同様で、ボクシングと比べて立場が低いものだったから、低所得者のイタリア人がプロレスに熱狂した。要するにイタリア人労働者のヒーローがサンマルチノだったんです」

女子プロレスの技の多様化の起源はクラッシュ。

清野 「では、ここから柳澤さんに会場のみなさんから聞きたいこと、リクエストにお応えしていただければと思います。質問のある方は挙手をどうぞ」

質問者 「『1985年のクラッシュ・ギャルズ』、文庫化おめでとうございます。とても面白かったです。あとがきで亡くなられたノンフィクションライターの井田真木子さんのことが書かれています。彼女のことについて、もう少し詳しく教えてください」

柳澤 「文庫を買っていただいてありがとうございます。私が出版社の編集者時代、井田さんの担当でしたが、担当編集者時代には女子プロレスの話はほとんどしませんでした。もう彼女には女子プロレスへの関心がなかったんです。彼女が亡くなったとき(2001年)、プロレス団体やプロレス雑誌の関係者にFAXを送りました。告別式では神取忍さんが号泣していましたね。長与千種さんはきていませんでした。長与さんは僕に『井田さんとは、ちょっとした行き違いがあった』とだけ言いました。

 この『1985年のクラッシュ・ギャルズ』は、本当は井田さんが書くはずだった本だと思います」

清野 「(しみじみしながら)プロレスの世界には、たまにそういう行き違いとか、ありますよね……。

 では、会場から次の質問をお願いします」

質問者 「ライオネス飛鳥が女子プロレスに復帰したとき『以前とは“決めごと”が変わっていた』と発言しています。柳澤さんから見て、女子プロレスが'80年代の過激な世界から変わったのはどのあたりだと思われますか?」

柳澤 「ずいぶんと難しいことを聞きますね(苦笑)。今の質問の意味は、要するにこういうことです。昔の女子プロレスは『最初はこういう風に入って、途中こういう技をかけて、最後はこういうフィニッシュで』と三つだけ決めて、あとはお客さんの顔を見ながらアドリブで試合を作っていったと、」

清野 「『最初は強く当たって、後は流れで』みたいな……」

柳澤 「そうそう。でも'90年代以降、大きく変わっていったんですね。その理由はなぜか、という質問なんです。私が考える理由としては、まず、いろんな体型の人が入ってくるようになったのがあります。クラッシュの時代に大きな選手、アスリートがたくさん入ってきた。でもその後は小さな選手ばかり。技が多様化したから、決め事を多くしておかないと危ない。そもそも技の多様化も、クラッシュから始まっているんですよ。長与さんが長州力のサソリ固めとか、男のプロレスの技を使いはじめた」

清野 「'90年代以降、過激になっていく女子プロレスの原因のひとつ、技の多様化もクラッシュ・ギャルズが起源だったんですね。

 では、次の質問をお願いします」

【次ページ】 「馬場さんは神様のような人だ」という言葉の重み。

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