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ジョーブ博士と野球医学の革命。
~トミー・ジョン手術の2つの功績~ 

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芝山幹郎

芝山幹郎Mikio Shibayama

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photograph byAP/AFLO

posted2014/03/15 10:40

ジョーブ博士と野球医学の革命。~トミー・ジョン手術の2つの功績~<Number Web> photograph by AP/AFLO

経営者や判事など、MLBへの貢献を認められて殿堂入りした人は多いが、もしジョーブ博士が殿堂入りすれば、医師としては初めてのことになる。

ストロム、村田兆治、ウェルズなどが続々と。

 手術を受けた第2号の患者は、パドレスの投手だったブレント・ストロムである。'48年生まれのストロムは、'75年、'76年と10勝前後の成績を残していたが、'77年、肘を痛めて急激に調子を落とし、その年を限りにパドレスを解雇されてしまう。

 1978年、復活をめざしたストロムはジョーブ博士に執刀を依頼した。手術は順調に完了し、'79年にはアストロズとの契約も締結される。が、ストロムのメジャー復帰はかなわなかった。マイナーリーグで3年間投げたあと、'81年に引退した彼は、65歳の現在もアストロズで投手コーチをつとめている。

 村田兆治にやや遅れた'85年7月には、のちにヤンキースで完全試合を記録するデヴィッド・ウェルズがこの手術を受けている。当時のウェルズは22歳。まだマイナーリーガーだったが、彼の場合も結果は吉と出た。手術を受けたあと、大リーグで3439イニングスを投げて239勝をあげ、オールスターにも3度出場することができたからだ。

手術とともに、故障予防への貢献も大きかった。

 以後の歴史はみなさんご存じだろう。20世紀が21世紀に席を譲るころになると、この手術はほとんど通過儀礼のようになった。桑田真澄、松坂大輔、和田毅、藤川球児といった日本人選手はもとより、ケリー・ウッド('99年に手術→2001年に完全復活)、ジョン・スモルツ(2000年に手術→'02年に完全復活)、クリス・カーペンター('07年に手術→'09年に完全復活)、ティム・ハドソン('08年に手術→'10年に完全復活)、ジョーダン・ジマーマン('09年に手術→'11年に完全復活)、スティーヴン・ストラスバーグ('10年に手術→'12年に完全復活)など、大物投手の名は枚挙にいとまがない。手術の成功率も、'09年には85パーセントを超えている。

 そんなジョーブ博士の功績をたたえて、殿堂入りを推挙する声は生前から高くあがっていた。手術自体の進歩も大きな要因だが、この手術を機に、「どうすれば肘がこわれるのか」、「若い才能をつぶさないためにはどうすればよいのか」という問題を真剣に考える傾向が高まったからだ。球数制限や投球回数制限の理論はその好例だが、医学の進歩が予防医学の発達をもたらすことはもはや常識といってよい。その意味でも、ジョーブ博士には殿堂入りの資格が十分にある。すぐれた才能は、環境にこわされてはならない。すぐれた才能が長く活躍しつづけてくれれば、観客もきっと幸せになる。

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フランク・ジョーブ

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