フィギュアスケートPRESSBACK NUMBER
伊藤、佐藤、荒川、安藤、そして浅田。
世界選手権を彩った女王たちの系譜。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byGetty Images
posted2014/03/10 10:30
2008年、世界選手権での初優勝を飾った浅田真央。あれから6年、2度の五輪を経て浅田真央が日本の世界選手権に帰ってくる。
フィギュアスケートの世界選手権は長い間、シーズンを締めくくる大会として選手たちの目標となってきた舞台である。
女子は1906年に第1回大会が行なわれ、戦争などでの中断を挟み、これまでに93回を数える。そのときどきに時代を彩るチャンピオンが現れ、数々の名場面が生まれた。
その歴史の中に、5名の日本の選手の名前も刻まれている。
日本初のチャンピオンが誕生したのは'89年、パリ大会のことだった。
伊藤みどりは傑出したジャンプ力を武器に、小学5年生で出場した'80年の全日本選手権で3位になるなど「天才少女」と呼ばれた。その後、ときに故障に苦しみながらも階段をのぼっていった伊藤は'88年11月、愛知県での大会で競技会では女子世界初のトリプルアクセルに成功。そのシーズンの締めくくりとして5度目の世界選手権に挑んだ。
圧巻はフリーの演技だった。着氷で乱れたもののトリプルアクセルを決めたほか、6種類の3回転ジャンプに成功。さらにスピンなどでも切れを見せつけ、優勝を果たした。9名のジャッジのうち5名が技術点で6.0の満点を出したことも特筆される。
小塚崇彦をフィギュアへ駆り立てた、佐藤有香の演技。
'94年、千葉で行なわれた大会で優勝したのが佐藤有香である。佐藤信夫、久美子夫妻の娘であり、現在は振付け師、コーチとして活躍している。
予選、ショートプログラムで1位の佐藤は、フリーでもジャンプで一つミスはあったものの、他のジャンプは成功。何よりも終盤のストレートラインステップにも表れていた、滑らかなスケーティングと溌剌とした演技に、場内が沸いた。
佐藤の演技を観戦していた小塚崇彦が、その様子を見てフィギュアスケートに本格的に取り組む決意をしたのも有名な話だ。そして佐藤は、世界選手権優勝という肩書きとともにプロに転向。数々のアイスショーで活動するきっかけとなった。
その10年後の'04年、ドルトムントで行なわれた大会で、3人目のチャンピオンが生まれた。それが荒川静香だった。
ショートプログラム2位で迎えたフリーの「トゥーランドット」は、まさに圧巻としか言いようがない滑りであった。技術点で満点をつけるジャッジもいるほどだったが、大会の3週間前にコーチとなったタチアナ・タラソワの効果もあったのだろう。スパイラル、イナバウアー、全身で示す表現と、まさに優勝にふさわしい演技で喝采を浴びた。荒川が見せた涙は、自身、心から満足していることを表しているようだった。