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伊藤、佐藤、荒川、安藤、そして浅田。
世界選手権を彩った女王たちの系譜。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byGetty Images
posted2014/03/10 10:30
2008年、世界選手権での初優勝を飾った浅田真央。あれから6年、2度の五輪を経て浅田真央が日本の世界選手権に帰ってくる。
震災で延期された2011年、安藤美姫の言葉。
3人のチャンピオンのあとに続いたのが、安藤美姫と浅田真央である。
15位に終わったトリノ五輪の翌シーズンとなる'06-'07年、ニコライ・モロゾフをコーチに迎えた安藤は見違えるような姿を見せた。絞り込まれた体型、磨かれたスピンとステップ、そしてジャンプ。観る者を惹きつける表現とともに好成績をあげたシーズンの締めくくりとなったのが、世界選手権優勝であった。
東日本大震災により時期を延期し、東京から場所を移して行なわれた'11年のモスクワでは2度目の優勝。ショート、フリーのすべてのスピンでレベル4を獲得したのはむろんのこと、フリーで見せた、落ち着きの中にもどこか強い気持ちを感じさせる演技が強い印象を残した。
「自分の演技を見て、一人でも多くの人が笑顔を取り戻せたら」
そんな願いを込めて滑っていたという。
浅田真央、2度の劇的な世界一。
そして浅田の2度の優勝もまた、見たものの心に強く刻まれている。
'08年のイエテボリのフリーは劇的な滑りとなった。冒頭のトリプルアクセルは踏み切りに失敗し、リンクの壁にぶつかるほどの激しい転倒。精神的にも肉体的にも衝撃は大きかったはずだ。だがそこからが真骨頂だった。素早く立ち上がると、その後はシーズンで最高ではないかと思える演技を見せて優勝を果たしたのだ。
'10年の世界選手権は、バンクーバー五輪の翌月だった。バンクーバーではショートで会心の演技を見せ、フリーでも2度トリプルアクセルに成功した浅田だったが、それ以外の部分でミスが相次いだ。銀メダルだったという結果以上に、ミスをしたことが許せず、涙を流した。だが世界選手権では、オリンピックから1カ月しか経っていないにもかかわらず、見事に立て直した姿を見せた。
「オリンピックでミスしたジャンプも跳べましたし、悔しさや力強さを最後のステップに込めました。自分の中ではほぼパーフェクトです。それが本当にうれしいです」
試合のあと、浅田は笑顔で口にした。