オリンピックへの道BACK NUMBER
ソチで考えた「世代交代」の功罪。
ベテランを“見切る”のは誰か。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byKaoru Watanabe/JMPA
posted2014/02/25 16:30
5度目の五輪で4位入賞の上村愛子。悲願のメダルには届かなかったが「全力で滑れた」と晴れ晴れとした表情を見せた。
団体の支援だけでは強化費もままならず……。
しかしそのランクも高く、スポンサーなどもつき、一見活動資金に問題がなさそうなある選手の言葉に、はっとしたことがあった。
「最近になってようやく、親への仕送りができるようになりました」
強化費のみで世界の上位を狙う位置にまで実力を向上させるのは不可能であることから、得ていた民間の支援もまた、自らの強化費にまわさざるを得なかったからだ。
選手それぞれに差はあっても、そういう厳しい環境の中で代表に選ばれ、ソチの舞台に立ったのだ。だから成績がよくなかったからと言って、その選手たちを否定する気にはなれない。
選手たちは、それぞれに挑戦してきた。
周囲にとやかく言われようと、挑戦してきた。その象徴が、スキージャンプの葛西紀明である。
「自分の能力を信じていますから」
1992年のアルベールビルで初めてオリンピックに出場し、ソチで7度目。41歳で迎えた大会である。
前回のコラムで記したとおり、世代交代を迫る風潮が起きたこともあったが、それをも自らのエネルギーとして今日まで来た。
「自分の能力を信じていますから」
葛西は、世界でも異例なほどの現役生活を続けることができた理由をそう語る。もっと自分は行けるはずだ、きっと勝てる。周囲が無理だろうと思っても、その信念が支えとなって、第一線で活躍してきた。そしてさらに先をも見据えている。
葛西のほかにも、4度目の五輪挑戦で銀メダルを手にした竹内智香、5度目にして会心の滑りにたどり着いた上村愛子らが示したのは、可能性を信じて挑戦してきたからこそ、結実を見たということだ。
浅田真央が2月20日のフリーで世界中に見せた演技もまた、自身の可能性を信じて、挑戦をたゆまず続けてきたこれまでの長い道のりがあったからこそではなかったか。残念ながら浅田は今大会でメダルを手にすることはできなかった。だが、それに勝るとも劣らない多くの賞賛をもって、称えられることになった。