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<私が今日も走る理由> 1300年で2人のみ! 千日回峰行満行の大阿闍梨 ~塩沼亮潤さん~ 

text by

山田洋

山田洋Hiroshi Yamada

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photograph byAtsushi Kondo

posted2014/04/26 10:30

<私が今日も走る理由> 1300年で2人のみ! 千日回峰行満行の大阿闍梨 ~塩沼亮潤さん~<Number Web> photograph by Atsushi Kondo

身体を動かし続けることで見えてくるもの。

 ランニングと千日回峰行に共通する、走る、歩くという行為。身体を動かし続けることで見えてくるものはあるのだろうか。

「歩くとね、不思議なんだけど、様々なことへのヒントが頭に浮かんでくるんですよね。理由は分からない。考え方とか生き方とか『こういう風にやればいいんだ』というヒントが蓄積されていくんですが、そのことこそが千日回峰行だと思っています。2500年前にお釈迦様が言われた『同じことを同じように繰り返していると、悟る可能性がある』という言葉にもそれが表現されているし、どんな人間でも12年間徹底して続けていれば必ず1つは悟りを得るという最澄の言葉もあるくらい。ただね、『情熱が失われてしまえば悟る可能性はゼロ』とも言われています」

 過酷なことをする=学び得るのではなく、右足左足を出すだけの歩く行為を毎日毎日繰り返すこと、続けることこそが大切なのだと。

 続けることで得られる小さな成功体験。これはランニングというスポーツが持つ魅力の1つと言える。それがウルトラと呼ばれる競技のように、距離が伸びれば伸びるほど自分と対峙する時間も長くなっていく。さらにトレイルランニングのように自然の中に身を置けば、その傾向はぐっと強くなる。

なぜ今この時代に山なのだろうか。

 近年、山を駆けるトレイルランニングが盛り上がっているが、なぜ今この時代に山なのだろうか。

「自分がどう生きていけばいいのか、皆さんその答えを求めているんじゃないのかな。山は、人間のように様々な欲が交ざり合った感情を持ち合わせていません。全てが大自然の理(ことわり)の如く宇宙の法則、真理に従って生きている。妬みも足の引っ張り合いもない。一方、人間は溢れるほどの欲を抱えて生きています。そんな人間が山に入っていくと、無言の山がその姿を通じて本質を教えてくれるわけです。仏教では、これを『無情説法』といいます。山に入って何も気がつかずに帰ってくるのは、宝の山に入って何も持って帰ってこないのと一緒なんです」

【次ページ】 「行にハマってはいけないんです」

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