野球クロスロードBACK NUMBER
野村克也、谷繁元信の叱咤を糧に。
忍耐の1億円プレーヤー、嶋基宏。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byNaoya Sanuki
posted2013/12/11 10:30
史上最年少の27歳で選手会長にも選ばれた嶋基宏。チームを、人を束ねる人柄は、捕手にとって最も大事なものの1つなのだ。
嶋への辛辣な言葉は野村なりの期待の表れだった。
「入ったばかりだったんで理由は聞けませんでしたが、選手としての在り方やキャッチャーとしての立ち振る舞いなど、色んな意味を込めて言ってくださったんでしょうね。今でもすごく心に響いています」
<無視されて三流、称賛されて二流、非難されて一流>とは、野村が頻繁に用いる格言のひとつだ。新人選手をいきなり一流と認める男ではない。しかし、ヤクルト時代の古田敦也、阪神時代の矢野輝弘は大学を経由しながら野村の元で捕手の在り方を学び、球界を代表する捕手となった。そう考えれば、嶋への辛辣な皮肉もまた、期待の表れだ、と捉えることができる。
1年目からベンチでは野村の前に座り、ぼそぼそと呟く指揮官の戦評に耳を傾ける。「内角高めで打者に意識づけをさせ、外角低めで打ち取る」など配球論を多く学び、試合後にはノートを片手にビデオを見ながらリードを仔細にチェックする。
どこまでも勤勉で実直。それが故に周りが見えなくなることも少なくなかった。
データ通りの配球でも打たれる。投手陣が滅多打ちにあいチームも敗れる。
その都度、嶋の頭脳は混乱したのだ。
山崎武司には「相手と戦え!」と怒られたことも。
「あいつは最初、相手に殴られたら殴られっぱなしだった。自分自身と向き合い努力する力は入団直後からあったけど、劣勢になるとどうしても委縮することが多かった。だから、『自分だけじゃなく相手ともちゃんと戦え!』って怒ったこともあったね」
楽天時代にチームメートだった山崎武司は、そんな「嶋評」をしていたが、嶋も当然、自戒していることだった。
「性格的に引きずってしまうところがあったのは事実です。前の日に大敗した、打たれたバッターには次の日も引きずって、『どうしよう』とリードしていたこともありました」
1年目から125試合に出場しレギュラーを掴みながら、2年目の'08年は85試合に留まった。「周りにレギュラーと見られている分、プレッシャーになった部分はありました」と語る嶋に大きな転機が訪れたのが3年目の'09年。敵チームでありながら師と仰ぐ中日・谷繁元信から授かった言葉だった。