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稲本潤一はJ復帰で何を変えたのか?
海外組復帰の難しさと2年目の課題。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byAZUL/AFLO
posted2010/12/22 10:30
ベンゲル監督のアーセナルを初めとして、フラム、WBA、カーディフ、ガラタサライ、フランクフルト、レンヌと多くの海外チームでプレーしてきた稲本も、日本の夏の蒸し暑さだけは別格と語る
欧州時代とは違うプレースタイルに体が悲鳴をあげた。
稲本はアンカータイプのボランチとして、常に中盤の底で守備をする役割を担っていた。端的に言えば、90%が守備である。
攻められると、ダッシュしてアタックしての繰り返しになる。欧州の時以上にスプリントの要素が必要とされ、かつ踏張ってボールを奪わないといけない。そのせいか、乳酸が溜り、足の疲労感がなかなか取れないと言っていた。
さらに前述の蒸し暑さの要素が複合的に絡み、ダメージが蓄積されていった。内転筋痛に始まり、左足付け根の肉離れ、11月には左太もも痛など、「初めてのケガばかり」に苦しめられることとなった。
「プレーで言えば、チームにフィットすることの難しさも感じた。例えば、満男(小笠原・鹿島)のように海外から戻って来ても元いたチームに戻るだけだと、すべてが分かるからそんなに問題はない。けど、一から選手の個性、チーム戦術、自分の役割とか、頭に入れていかなあかんとなると、すぐに自分のプレーを100%出すのは厳しい。欧州だと大雑把というか、約束事はあるけど、最初からある程度、好きにやれるけど、日本は戦術とかも色々と細かいし、様子見ながら徐々に慣れていくしかない」
戦術的な理由で自分の持ち味を封印することもある。
たしかにシーズン当初、まるで転校生のように大人しく淡々とプレーしていた稲本の姿がよく見られた。そもそも稲本の持味は守備だけではなく、ボールを奪った後すぐに前線へ駈け上がりフィニッシュにまで絡む攻撃力だ。しかし、そういう姿はシーズンが深まっても、守りの人数が足りている時でさえほとんど見られなかった。得点ゼロという数字が、それを物語っている。
「得点ゼロというのは、戦術的な問題が大きいけどね。憲剛とダブルボランチをしていると、一人が上がったら残るように指示されていたんで、自分も前へという風にはならへんかった。自分が行ったら中盤の底がガラ空きになるからね」
自分を活かす以上に、チームから求められたものをこなすことに腐心しすぎて、本来持つ攻撃的な部分の良さが消えてしまった。そこは、日本人のメンタルなのだろう。我を押し出す外国人選手とは異なり、1年目でチームの中心である中村憲剛や外国人選手への遠慮があったのが見え隠れする。