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新人は生意気と謙遜のどちらが良い?
田中将大と雄星にみる「プロ1年目」。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2010/12/17 10:30
プロ初登板初先発となった2007年3月29日のソフトバンク戦で6失点し、ベンチで泣いた田中。一方、雄星は左の肩を痛めルーキーイヤーでは一度も一軍登録は無し。二軍でも5月上旬以降は登板していない
あまりの強気な姿勢に、意外な思いがしたものだ。
キャンプインして間もない頃のことだ。ルーキーだった楽天の田中将大は、平たく言えば、「やる気満々」だった。
「下に落ちるの、嫌なんで。飛ばせるだけ飛ばしますよ。体は実戦の中で鍛えていけばいい。じっくりいくつもりはないんで」
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駒大苫小牧高校時代の田中のピークは2年秋だった。スカウトも「今のままでもすぐプロで通用する」と太鼓判を押していた。
だが、その後はゆるやかな下降線をたどり、3年夏も全国で準優勝したとはいえ決して万全だったわけではない。無論、それでも勝ち上がっていったということは、田中が投球術にも長けていたということの証左でもあったわけだが、いくらクレバーであっても高校卒業時のボールですぐにプロで通用するとは思えなかった。
プロ1年目の田中は、自主トレからキャンプにかけて新たなフォームを模索している真っ最中だった。しかも、まだ18歳である。
高卒投手でも1年目からすぐに一軍で戦えるという空気。
楽天の田中が予想に反し、1年目から大ブレークしてからというもの、球界には「高卒でも1位指名のピッチャーは即戦力になりうる」といった空気が醸成されている。だが以前は、松坂クラスは別格として高卒投手が1年目から一軍ですぐに活躍するなど誰も考えていなかったし、期待もしていなかった。
だからこそ当時、田中が周囲の期待以上に「やる気満々」だったことは、今よりもはるかに衝撃的だったのだ。
私はてっきり、殊勝に「まずは下でじっくり体をつくって」とでも言うものかとばかり思っていた。
だが後の田中の活躍ぶりを見るにつけ、プロ野球選手たるものは年齢や実力に関係なく、最初からそれぐらいの「うぬぼれ」がなければダメなのだと思い直すこととなった。
それとは対照的に、予想以上に控えめだったのが西武の雄星だった。