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'12年に感じた楽天上昇の気配。
星野監督の“若手”と“バランス”。
text by
小関順二Junji Koseki
photograph byHideki Sugiyama
posted2013/10/02 10:30
念願の初Vに輝き、7度宙を舞った楽天・星野仙一監督。「想像していなかった」優勝の余韻に浸る間もなく、翌日から完封負けが続いた。CSへ向けて再度チームを引き締められるか。
“再生工場”野村監督は若手育成の不安があった。
監督は'05年から順に田尾安志、野村克也、マーティ・ブラウン、星野仙一が指揮を執った。初代・田尾監督はメンバーが揃わない中で苦労があったが、ベテランを復活させる手腕では右に出るものがない野村氏を2代目監督に据えたとき、改めて方向性に疑問を感じた。
先に述べた、合併球団が獲りこぼした選手(ベテラン・中堅がほとんど)で構成されたオジサンチームを指揮するなら、ドラフトで獲得した若手を育成し、抜擢するタイプの指揮官のほうが望ましい。しかし、“再生工場”の異名を獲る野村氏は、それとは真逆の指揮官である。
「満点を狙わない外国人補強の不思議」「即戦力にこだわった未来放棄の戦略」「ケチケチ路線で天下を盗ろうと思っても無理」などの強い言葉を並べた見出しは球団に目ざして欲しい方向性と現実のギャップに苛立ったゆえだ。
星野監督も即戦力志向の監督だと思っていたが……。
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1年間のブラウン時代を経て星野政権が誕生したとき、やはり同じような違和感があった。中日第一期監督時代('87~'91年)こそ若手抜擢型の監督として立浪和義('88年)、与田剛('90年)、森田幸一('91年)の新人王誕生に力を貸しているが、中日第二期監督時代('96~'01年)の新人王は川上憲伸('98年)1人きりで、中堅・ベテラン重視の起用が目立った。
阪神時代('02~'03年)はさらに即戦力志向が強まり、2年目の'03年は24人の選手がシーズン前に入れ替わった。この年、18年ぶりのリーグ優勝を果たしたことから即戦力志向・トレード作戦は有効な戦略と思われたが、S.D.(シニアディレクター)として後方支援に回った'04年以降の10年間、リーグ優勝したのは'05年の1回だけ。この間、育成とトレードでチーム力の強化を図った巨人はリーグ優勝5回、日本一2回を数え、原辰徳監督は「名将」の評価を揺るぎないものにしている。
それに対して、星野氏は大言壮語して臨んだ'08年の北京オリンピックで4位に終わり、監督としての評価が急降下。当時、既に60歳を超えていたこともあり名誉回復は難しいのではと思っていた。
7年間のブランクを経て楽天監督に返り咲いた'11、'12年は5位、4位と下位に低迷した。楽天監督1年目の私の評価は、『2012年版 プロ野球問題だらけの12球団』の見出し――「同じように『弱いチーム』から出発した西武との違いは戦略」「ドラフト1位がいない貧弱な打線」「楽天の辞書に『将来』という文字はない」――でわかるように低い。しかし、楽天2年目('12年)の指揮を見て評価は変った。