オフサイド・トリップBACK NUMBER
欧州組の評価で韓国に抜かれた日本。
香川や本田は“第二のヒデ”になれ!
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byTakuya Sugiyama
posted2010/10/10 08:00
5月24日の日韓戦で2-0と完勝した韓国。試合後、主将のパク・チソンは「昔と比べて日本代表は弱くなっている」とコメントを残した
あまりにも長く続いている“第二のヒデ”の不在。
原因はどこにあるのか。
まず思い当たるのは「ヒデの後継者の不在」という問題だ。
韓国の場合は、パク・チソンが一種の「ショーケース(商品見本)」として後進への道を切り拓き続けてきた。これに対して日本の場合は、中村俊輔が一時期注目を集めたり、松井大輔がフランスリーグで新しいステップアップの方法(下位リーグでチームと共に成長していくアプローチ)を示したが、中田英寿が引退した後は、日本人選手のレベルの高さを継続的にアピールする広告塔がいなかった。
この問題は「ヒディンクに相当する後ろ盾の不在」という事実にも繋がってくる。
パク・チソンの場合、日韓大会終了後にPSVの監督に就任したヒディンクに「秘蔵っ子」として招かれたことはよく知られている。パク・チソンはその強力な後ろ盾を背にCLなどで活躍し、ついにはマンUへの切符を手にした。
だが日本人選手の場合は、ベンゲルのような日本贔屓の監督を別とすれば、欧州進出を援護射撃してくれる後見人に恵まれなかった。そればかりか今やベンゲルは、韓国人選手の躍進ぶりを認めるようにさえなっている。
「韓国人選手は一つの偉業を成し遂げた。ヨーロッパ、特にプレミアリーグでプレーしているアジアの選手はほとんどいないが、韓国人選手はきわめて順調に適応したような印象を受ける。パク・チソンはチームのために尽くすハードワーカーだが、良い技術の持ち主でもあるし、重要なゴールも決めてきた。不幸なことに我々(アーセナル)と対戦した試合においてだがね」
W杯日韓大会までは日本が韓国をリードしていたのだが……。
韓国選手が日韓W杯を機に欧州進出を加速させたのとは逆に、欧州における日本人選手は徐々に「影」が薄くなってきたわけだが、この変化は代表のメンバー構成にもはっきりと表れている。
たとえば2002年のW杯日韓大会の時点では、欧州組の人数は4:2で日本代表が上回っていた。
日本代表……川口能活(ポーツマス)、中田英寿(パルマ)、稲本潤一(アーセナル)、小野伸二(フェイエノールト)
韓国代表……アン・ジョンファン(ペルージャ)、ソル・ギヒョン(アンデルレヒト)