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5月5日、日本人初の9秒台出るか?
17歳・桐生祥秀とそのライバルたち。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2013/05/01 11:50
織田記念陸上の男子100m決勝で、ロンドン五輪代表だった山縣亮太(左)と並走する桐生。1995年12月15日滋賀県生まれの17歳。175cm、66Kg。
ジュニアで世界的に活躍した選手はシニアでも活躍する。
ジュニアの世界記録歴代10位までの他の顔ぶれを見れば、北京五輪100m銅メダルのウォルター・ディックス(アメリカ)、白人選手として初めて10秒の壁を破ったクリストフ・ルメートル(フランス)らが名を連ねる。
つまり、シニアになったあとも世界の上位で活躍する選手が並んでいるのである。
しかも、桐生を除く他の選手は、18歳以上での記録である。
これらの事実から、今回のタイムの衝撃が分かる。
さらにこのタイムは、日本のスプリンターたちが長年挑んできた、「10秒の壁」を越える夢を現実に近づけるものでもある。
日本短距離界の悲願である「9秒台」、その挑戦の歴史。
日本の短距離界は、長年9秒台へと挑戦を続けてきた。
日本記録は10秒00。1998年、伊東浩司がアジア大会の準決勝でマークしたものだ。従来の記録を一気に0秒08縮めるタイムに、「9秒台が夢ではなくなった」と感じさせた。
'01年には朝原宣治が、桐生が塗り替えるまで日本歴代2位であった10秒02をマークし、'03年には末續慎吾が歴代3位であった10秒03を記録し、現実に近づいたかのように思われた。
当時、選手の周囲も含め、9秒台への挑戦に総力をあげて取り組んでいたのだ。
例えば末續の場合、法政大学のスタッフらが、海外の一流選手とスピード曲線を比較し、どこに違いがあるかを分析。パワーに勝る海外勢に対して、技術で勝負しようと、スタートダッシュでいかにエネルギーを使わずスピードに乗れるのかを研究した。
末續自身、「他競技に学びたい」と、クロスカントリースキーやボクシングに取り組んでみたり、球技の観戦を重ねたこともあった。
他の選手たちもそれぞれに創意工夫を凝らし、挑戦を重ねてきたのである。
それでも日本記録更新=9秒台は、実現しなかった。むしろ、遠のいたかに思えた。
明るい兆しが見えたのは、昨年、ロンドン五輪で山縣亮太が10秒07を叩き出したことだった。オリンピックという大舞台での自己記録更新そして日本歴代4位タイは、十分、今後の可能性を感じさせたし、山縣自身、五輪後には9秒台への意欲を見せてきた。
そうした日本陸上界の長く複雑な経緯を経た後での、桐生の10秒01なのである。