自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
古川橋発、吉原経由、夢の島まで。
明治通りは「祈りの環状線」だった。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2010/07/18 08:00
北砂、南砂、東砂、新砂……。
亀戸から一路南下。南砂を過ぎると、明治通りは倉庫街、そして、配送センター街(?)に突入していく。大型トラックがバンバン通り過ぎていく。佐川急便や、日本通運などの宅配便基地があるのがここだ。
「砂」という文字がつく江東区のこのあたりは、もうすべてが「かつて海」。江戸時代からというもの、営々と埋め立てを続けてきたエリアだ。
北砂も南砂も東砂も(西砂だけは地名として存在しない)かつての埋め立て地「砂村」の名残だ。それをさらに南、つまり海側にいくと、もっと新しい埋め立て地「新砂」となる。もちろん「新しくできた砂村」という意味だ。
その砂村をさらに南下する。と、住所はいつしか「夢の島」に変わる。高度成長中、ゴミ埋め立て地としてつとに有名だった、あの夢の島である。
最後の祈りは終着点に。
現在では完全に陸続き。運動公園が広がる都内でも屈指の緑地、スポーツゾーンとなっている。この夢の島(新木場)こそが、明治通りの終着点。
その夢の島公園の中に、この高度成長、そして、戦後を象徴するかのような施設があった。
それが「東京都立第五福竜丸展示館」だ。
昭和29年、ビキニ環礁近くで、日本のマグロ漁船・第五福竜丸が、アメリカによる水爆実験の死の灰を浴びた。この事故の半年後、死の灰を浴びた久保山愛吉無線長(当時40歳)が「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と言い残して死亡した。
この事故以来、日本の原水爆禁止運動は、大きなうねりとなっていく。
この展示館には、船体をはじめとして、第五福竜丸に関する資料が、これでもかと展示されている。入場は無料。
核爆弾という人類が生んだ最悪の兵器についての思いを新たにすることができる。
いや、なんということ。
最後の最後に、もう核爆弾にまで行き着いてしまった。明治通りという道路は、かくも重い、祈りに満ちた通りだったのである。