野球クロスロードBACK NUMBER
トライアウトに挑戦したベテラン2人。
門倉健と佐伯貴弘が貫き通す己の道。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byShigeki Yamamoto/KPG Images(AFLO)
posted2012/11/30 10:30
門倉健(左)と佐伯貴弘。トライアウト後、門倉は「まだできる。打ち込まれていたら違う考えになっていたけれど」と語り、佐伯は「需要と供給の世界ですから……もしダメだったら、一区切りつけよう(引退)と思います」とコメントした。
毎年、合同トライアウトの参加選手のなかには“ビッグネーム”がいる。
ビッグネームとはすなわち、知名度や注目度の高い選手を指す。今年の一次で言えば、日本ハムの木田優夫、ヤクルトの一場靖弘。そして、元オリックスの古木克明あたりになるだろう。
だが、二次となるとビッグネームの数は激減する。ゼロの年がほとんどだ。
理由として、一次の後に他球団からのオファーや入団テストの誘いを待つケースが多いこと。そして何より、二次では独立リーグや社会人、韓国、台湾といった海外チームの関係者が多く訪れるため、NPBに所属する球団に入団できる可能性が極端に低いためだ。
そんななか、11月21日に開催された二次ではふたりのビッグネームが参加した。
門倉健と佐伯貴弘。
彼らはこれまで実績を残してきた。ベテランと呼ばれる年齢となり、プレーできる環境が少ない現状から、引退が脳裏をかすめることだってあった。
しかし、それでも現役にこだわり続ける。
昼は事務職員、北海道で社会人として過ごした日々。
互いに辿ってきた道は違う。だが、プロ野球選手時代には決して味わえない経験をしたからこそ、その想いは誰よりも強い。
「周りの方たちの言葉が励みになったことで、トライアウトを受ける決心がつきました」
門倉はトライアウト参加について、そのように語った。
2008年オフに巨人を自由契約になった'09年、シカゴ・カブスとマイナー契約を結んだが春先に契約を解除され、韓国のSKに入団。'10年、ロッテとの日韓クラブチャンピオンシップで先発を果たすなど再起を果たした門倉だったが、次に移籍した三星で'11年に自由契約となった。その後、楽天、日本ハムの入団テストを受けたが不合格。彼が新天地として選んだのは、北海道のクラブチーム、伊達聖ヶ丘病院だった。
社会人野球は、選手全員が本業と掛け持ちで野球を続けるのは当たり前。門倉自身、日中は病院で事務職員として働き、就業時間後に練習する日々を送った。
「社会人として過ごしたこの1年は、自分にとってすごく勉強にもなりましたし、いい経験にもなりました」
門倉はそう語る。
選手としても貴重な経験をした。
今夏、JR北海道の補強選手として都市対抗野球の初戦に登板した門倉は、勝ち越し本塁打を浴び敗戦投手となった。
「アマチュアは常に一発勝負のトーナメント。1球、1本の重みを改めて感じました」
選手としてピークを過ぎ、アマチュアでも痛打される。この現実を突きつけられれば引退だって考えるだろう。