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トライアウトに挑戦したベテラン2人。
門倉健と佐伯貴弘が貫き通す己の道。 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

PROFILE

photograph byShigeki Yamamoto/KPG Images(AFLO)

posted2012/11/30 10:30

トライアウトに挑戦したベテラン2人。門倉健と佐伯貴弘が貫き通す己の道。<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto/KPG Images(AFLO)

門倉健(左)と佐伯貴弘。トライアウト後、門倉は「まだできる。打ち込まれていたら違う考えになっていたけれど」と語り、佐伯は「需要と供給の世界ですから……もしダメだったら、一区切りつけよう(引退)と思います」とコメントした。

「日本ハムに入ってよ!」の励ましが門倉を後押しした。

 だが、門倉は思いとどまった。

「プレーヤーとして悔いがまだあったんで」と彼は理由を説明する。ただ、それ以上に、周囲の声が門倉を勇気づけた。

「日本ハムに入ってよ!」

 病院の患者の多くが、地元球団で投げる門倉の姿が見たいと激励する。その言葉に応えたい、と彼は現役続行を決意したのだ。

「しっかり準備をして臨みたい」と、あえて一次を受けず二次に照準を合わせた。そのトライアウトでは、打者5人に対し無安打、1四球。フォークで3つの空振り三振を奪った。

「15年以上、プロで野球を続けてきて、自分の持ち味であるフォークで3つも三振を取れたのはよかったです」

 登板後、門倉は満足げな表情を見せた。「引退」の二文字は選択肢にあると言うが、自信を取り戻した今、その想いは一旦、封印する。「必要とされる球団があればどこでもやりたい」。彼は、そうはっきり言った。

人目を忍んでキャッチボール、野球浪人の過酷な1年。

 プレーヤーとしての信念を捨てていないのは、佐伯も同じだ。

「この1年、やってきたことが間違いではなかったし、遠回りとも思っていません」

 振り返ればこの1年は、彼にとって過酷な時間だったはずだ。

 中日を自由契約となり浪人の道を選んだ。その期間、中日の施設を利用することもあったが、あくまでもチームが最優先のため、公園で練習する日も少なくなかったという。

「どこの公園かは言えませんけどね(笑)、ランニングをしたり、本当はやっちゃいけないんだけど、周りに気を配りながらキャッチボールもしました」

 42歳。「もういいんじゃないか」という声もあった。だが、それ以上に「頑張れ」と激励の言葉が多かった。清原和博や金本知憲……。輝かしい実績を誇りながらも、最後まで泥水を嘗め、地べたを這いつくばりながら現役にこだわり続けた先人たちの後押しがあったからこそ、佐伯はたったひとりの浪人生活を乗り切ることができた。

【次ページ】 ロッテの入団テストは不合格ながら、手応えはあった。

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