スペインサッカー、美学と不条理BACK NUMBER
“スペインのフィーゴ”が帰ってきた!
ホアキンが謳歌する「第二の青春」。
text by
工藤拓Taku Kudo
photograph byAFLO
posted2012/12/01 08:01
マラガの躍進を支えるホアキン(中央)。チームは初出場のCLでGL突破を決めている。
傑出した才能を持ち、若くから将来を約束されていた選手が様々な要因によって大成できずに終わってしまう。サッカー界ではよくあることだ。
しかし、中には一度「終わった選手」とみなされた選手が不意に失った輝きを取り戻すこともある。スペインではそのような現象を「セグンダ・フベントゥ(第二の青春)」と表現するのだが、今まさにその表現にぴったりの充実したシーズンを送っている選手がいる。マラガのホアキンだ。
10代から異彩を放ち、「スペインのフィーゴ」と呼ばれたホアキン・サンチェス・ロドリゲスは、ウイングの宝庫と言われた一昔前のスペインでも1、2を争う才能を持つ天才ドリブラーだった。
子供の頃はサッカーより闘牛に夢中だったという少年は、父親の勧めで加入した地元のサッカーチームですぐに頭角を現し、名門ベティスのカンテラに引き抜かれる。プロデビューは19歳。この年いきなり38試合に出場してトップチームの1部復帰に貢献すると、初の1部挑戦となった翌シーズン途中に20歳でフル代表デビューを果たした。
20歳で出場した日韓ワールドカップの準々決勝・韓国戦では、フェルナンド・モリエンテスのゴールデンゴールを生んだかに見えたクロスがゴールラインを割ったとして取り消された上、自身のPK失敗により大会を後にした悲劇の選手として記憶しているファンも多いことだろう。
移籍金の金額が示す、“フィーゴ”に対する評価の下落。
だがデビュー当時の強烈なインパクトとは裏腹に、その後ベティスではコパ・デル・レイ優勝とCL出場権を獲得した2004-05シーズンを除き、中位~下位をさまようチームと共に伸び悩みに陥ってしまう。
その間、独裁者的存在だったオーナーのマヌエル・ルイス・デ・ロペラは多数のビッグクラブから届いたオファーをことごとく無視。それでも'06年には揉めに揉めた末に涙のバレンシア移籍を実現するのだが、結局在籍した5シーズンの間に彼がベティス時代の輝きを放つことは一度もなかった。
昨季マラガへ移籍した際も、ファンの期待は同時期に加入したサンティ・カソルラやファンニステルローイに向けられるものほど大きくはなかった。この時の移籍金は400万ユーロ。バレンシア移籍時の2500万ユーロから6分の1以下まで下がった金額が示す通り、30歳を迎えた彼に対する周囲の見方はこの数年で大きく変わっていたのである。