野球クロスロードBACK NUMBER
<トライアウト直前・独占告白>
一場靖弘 「自分はまだまだ終われないんです」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byToshiya Kondo
posted2012/11/08 13:35
戸田球場のブルペンで一心不乱に球を投げ込んでいた一場。同時期にヤクルトから戦力外通告を受けた選手の今後では、現役引退してコーチになった者、他球団の用具担当スタッフになった者、まだ今後を未定とする者など、様々な選択があった。
人生初の中継ぎも経験し、二軍では好調だったが……。
人はその理由について、「制球難の克服」と決めつける。だが、彼の言葉を借りればそれは、肩の痛みを抑えるための苦肉の策だった。
最初は好感触を抱いた。しかし、それは錯覚以外の何ものでもなく、徐々に違和感を覚え始める。そして、今度は脇腹を痛めてしまう。
「その投げ方は、お前には合わないよ」
そう教えてくれたのは、同じスリークォーターの館山昌平だった。
「館山さんに言われたときに、『そうか』と納得させられて、また自分のフォームを見つめ直すようになって。結局、トレーナーさんにも肩の痛みのことを話しました。そこで原因が肩甲骨にあることが分かったんです。それまでは肩甲骨が前に出過ぎていたんで、常に後ろにうまく寄せておかないといけない。それを普段から意識するようになって。あとは、痛み止めの注射を打ちながら肩に負担のかからないトレーニングをしていったことで、徐々に痛みがなくなっていきました」
'10年は一度も一軍に上がることはできなかったが、'11年になると肩の痛みはほとんどなくなり、投球フォームをオーバースローに戻せるまでに回復した。
野球人生初の中継ぎに挑戦し、ファームながらも良好なコンディションを保てていた。特に夏場は、自分でも驚くほど絶好調だった。
ただ、なぜか「精神面の弱さと制球難がある」というレッテルはそのままだった。ファームでの成績も一軍での活躍を保証するものではない、という印象を依然として首脳陣は感じているようだった。
「自分がやってきたことが無意味になる」
'11年の9月下旬には、なんとか一軍昇格を果たした。しかし、このときコンディションはすでに下降線をたどり始めていた。
登板はわずか5試合。5回1/3を投げ防御率も5.06と成績は振るわなかった。
「調子の悪さは言い訳にしかなりませんからね。このときはもう、『やるしかない』と。『クビになるかも』という危機感は常にありましたけど、チャンスをもらえる限りはめげずに投げようと思っていました」
そして今季。一場の登板機会は、コンディションが良かったと言う夏季も含めて、ファームでも明らかに減っていた。3月に2試合投げて以降、約3カ月間、実戦から遠ざかった。最後の登板となったのは8月18日の巨人戦。シーズンで、わずか8試合しか投げられなかった。
「今年も夏場は調子が良かったし、パフォーマンスも悪くなくて。『何で使ってくれないんだろう?』って気持ちも当然出てきますよ。でも、そこでモチベーションをなくしてしまったら、自分がやってきたことが無意味になるんで。だから、『可能性がある限りしっかりやろう』と思って」
自分ではそう言い聞かせてはいる。しかし、アンビバレントな感情が同時に一場を襲う。
「ここまで出番がないと、さすがに『もしかしたら、自分はダメなのかな?』と……」
過去に戦力外通告を受けた選手のほとんどがそうだったように、球団から解雇される選手というのは自然とそう考えてしまう。そして残念なことに、かなりの確率でその悲観的な予想は、的中する。