野球善哉BACK NUMBER
超アグレッシブな西武の1、2番コンビ。
浅村と秋山はCSで爆発するか?
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byHideki Sugiyama
posted2012/10/10 12:20
9月の好調時には「秋山(翔吾)さんとも『3、4番の前に塁に出ていれば、後はなんとかしてくれる』と話していますから」とコメントしていた浅村。
中田翔の後を継ぎ大阪桐蔭を支えた浅村という男とは?
高卒4年目の浅村は、昨シーズンに頭角を現した。今季は序盤戦こそ今ひとつ結果が出てこなかったが、8月30日の1番への抜擢以降、調子を上げてきていた。1番起用について浅村はこう話している。
「僕には栗山さんの代わりはできませんが、若さのある1番を心がけています。当てに行くバッティングはせず、しっかり振っていこうと思う」
西武が首位を走っていた9月の初め、打線を勢いづけていたのは「1番・浅村」の活躍だった。
「1番・浅村」で思い起こすのは全国制覇を果たした大阪桐蔭高時代のことだ。
日本ハムの中田翔の1年後輩にあたる浅村は、大黒柱の中田が抜けた後のチームの中心選手だった。しかし、新チーム結成当初は3番を任されながらも、結果を残したい焦りからかうまく機能しなかった。高校2年には秋季大阪大会において準々決勝でコールド負け。「3番・浅村」は不発に終わった。
ところが、高校3年春から1番を任されるようになると、浅村はガラリと変わる。もともとの積極的な性格が、1番に起用されたことでプレースタイルにも出るようになった。春・夏と大阪大会(夏は北大阪大会)を制覇して勢いに乗ると、そのまま、全国の頂点に立った。その全国の戦いでも、2回戦の金沢戦では1点ビハインドの8回裏2死走者なしから起死回生の同点本塁打を放った。大会を通して5割を超える打率を残し、「1番・浅村」は打線の火付け役になっていた。
高校野球とプロ野球ではレベルが違い過ぎる――。
確かにそうだろう。とはいえ、8月の後半という季節、さらには終盤戦の「負けられない試合」が続く戦いには、短期決戦に似た空気があった。そんな中にあっての、「1番・浅村」は西武に活力を与える存在になりえていたのではないか。
犠打や凡打でつなぐのではなく、打ってつなぐのが秋山。
「後ろに中島さんと中村さんがいるので、自分の役割は2人につなげること」
7月25日から西武の2番に定着している秋山はそう語った。2番打者らしい優等生的ともとれる発言だが、秋山の場合は少し意味合いが違う。
「バントなど、小技のサインが出れば決めないといけませんが、そうじゃない時はしっかりと振っていきたい。自分の持ち味は積極性なので、思い切り行くことは忘れたくないです」
犠打や凡打でつなぐのではなく、打ってつなぐ。
それが秋山なのだ。