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<ナンバーW杯傑作選/'06年7月掲載> ついに生まれなかった闘争心。 ~ドイツW杯をデータで徹底分析~ 

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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photograph byShinji Akagi/Koji Takano(JMPA)

posted2010/05/28 10:30

<ナンバーW杯傑作選/'06年7月掲載> ついに生まれなかった闘争心。 ~ドイツW杯をデータで徹底分析~<Number Web> photograph by Shinji Akagi/Koji Takano(JMPA)

以前からの問題が噴出したオーストラリア戦。

 帰国後の記者会見でジーコは、オーストラリア戦でいかにDFが疲弊していたかを明かした。日本人の肉体が激しい競り合いの連続に耐えられなかった、と説明した。

 それは、W杯を戦わなければ分からなかったことなのか。最初から予想されていたはずだ。直前のドイツ戦でも、後半はクロスの集中砲火を浴びていた。そこから失点を喫していたではないか。

 だから私は、オーストラリア戦の敗北は大会前の課題が噴出した結果だと考える。2月のアメリカ戦やボスニア・ヘルツェゴビナ戦を、本当の意味で教訓にしなかったからだ、と。クロスの雨にさらされて自陣に釘付けにされ、セカンドボールを拾えずに呼吸困難に陥ったのは、これが初めてでないのだ。

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 ジーコが効果的な選手交代をしていれば、オーストラリア戦の結果は違っていたかもしれない。この試合に比べれば適切な采配をしたクロアチア戦にしても、ジーコは大黒の投入をぎりぎりまで引っ張るミスを犯している。

 ただ、責任のすべてを監督に押しつけるのは正当性を欠く。選手にも問題はあった。

 スタミナの消耗に伴って、集中力や判断力は鈍っていく。身体のキレも失われる。だとしても、日本の選手たちはあまりに無策でなかったか。

圧倒的に押し込まれても、いつもと同じパス回し。

 オーストラリアに圧倒的に押し込まれていた時間帯でも、いつもと同じパス回しにこだわった。自陣からのビルドアップを捨てようとしなかった。

 経験という引き出しを、ここで開けられなかっただろうか。自陣からのビルドアップはジーコが決して譲らなかったコンセプトだが、狙いどころを絞られる弊害は過去のゲームから明らかになっていた。センターラインの手前でボールを失い、数的優位を作られて反則を犯す悪循環が繰り返されていたのだ。経験をもとに判断すれば、リードしている時点で失点の兆候を感じ取れたはずである。

 疲れ切った身体では、適正な高さまでDFラインを押し上げるのは難しい。どんなに頑張っても限度はある。しかし、そのわずかな違いが極限状態では大きな価値を持つ。

 筋力に恵まれた外国人選手に比べると、日本人はヘディングのクリアボールの距離が短い。外国人なら2列目の選手の頭を越えられる場面でも、日本のクリアはセカンドボールとして拾われてしまうことがある。わずかな距離の差が戦況に与える影響は小さくない。

 DFラインを押し上げるのは、その足りない距離を補うためでもあるのだ。それが、失点のリスクを抑えることにつながる。

【次ページ】 “言いようのない物足りなさ”の理由とは?

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