Jリーグ万歳!BACK NUMBER
40歳で現役引退を決断した藤田俊哉。
Jの先駆者が描く次なるビジョンとは?
text by
細江克弥Katsuya Hosoe
photograph byToshiya Kondo
posted2012/07/24 10:30
1月の故松田直樹の追悼試合では、かつてのチームメイト福西崇史と息のあったコンビネーションを見せた。
たとえピッチを離れても、その志はサッカー選手であった頃の自分と何ら変わらない。
明日はもっと、いい選手になる――。ただそれだけを考えて、藤田俊哉はJリーガーとしてのキャリアを全うしてきた。
去る7月3日、20年に及ぶJリーグの歴史のうち、18年間をJリーガーとして過ごした藤田が引退会見に臨んだ。その場で藤田が口にしたのは、指導者としての海外挑戦、さらにその先に日本代表監督の椅子を見据えるという、個人的には少し意外な結論だった。
藤田によれば、その挑戦は国内最高の指導者資格「S級ライセンス」の取得に始まり、1年後にはオランダのVVVに渡って指導者としてのキャリアを本格的にスタートさせるという。いずれにしても、Jリーグの歴史にその名を刻む名手がまた一人、ピッチを離れる決断を下した。
直感的にプレーする、ジュビロきっての“感覚派”。
約半年前の今年1月、20年目のJリーグ開幕を特集するNumber798号で、完全優勝を成し遂げた2002年のジュビロ磐田を振り返る「ジュビロが最強だった理由」を担当し、取材させてもらった。取材対象者は当時の中盤を形成した5人。最年長の藤田を筆頭に、名波浩、服部年宏、福西崇史、それから、32歳の今もピッチに立つ西紀寛と続く。彼らに言葉を求め、集中的にテーマを掘り下げていく約10日間の中で、その言葉が最も印象的だったのが藤田だった。
ただ、彼の言葉は極端に少なかった。
藤田は名波と服部、それから福西の3人を「理論派」と評し、一方で「西と俺は完全に感覚派」と位置付けた。つまり、頭で考え、サッカーを理屈に当てはめることが得意な前者は当時のこともよく覚えているはず。しかし対照的に、「直感的にプレーする」後者は当時のことをほとんど覚えていないだろうと。確かに、例えば「'02年第○節の○○戦では」という具合にこちらが具体的な事例を挙げても、藤田のコメントは“想像”の域をなかなか出なかった。例えば、こんな具合に。
「ということは、あの時の俺はそう思っていたのかもしれないよね。みんながそう言うなら、きっとそうなんじゃないかな(笑)」