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40歳で現役引退を決断した藤田俊哉。
Jの先駆者が描く次なるビジョンとは? 

text by

細江克弥

細江克弥Katsuya Hosoe

PROFILE

photograph byToshiya Kondo

posted2012/07/24 10:30

40歳で現役引退を決断した藤田俊哉。Jの先駆者が描く次なるビジョンとは?<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

1月の故松田直樹の追悼試合では、かつてのチームメイト福西崇史と息のあったコンビネーションを見せた。

「それは名波に聞いて。アイツなら覚えてるから(笑)」

 それから言葉は、こう続く。

「いや、みんなスゴいよね。よく覚えてると思うよ。だって俺、ほとんど覚えてないもん。2000年はこうで、2001年はこうで、2002年はどこが違うとかさ。メンバー的にはどうだったの? そんなに変わってたっけ? だからゴメン、それは名波に聞いてみて。アイツなら覚えてるはずだから(笑)」

 藤田や西に聞いて分からないことのほとんどは、服部や福西が覚えている。もし服部や福西が覚えていなくても、必ずと言っていいほど名波が覚えている。特に“最後の砦”である名波の記憶力は抜群で、こちらが“お題”さえ提示すれば、「○年第○節、○○戦の帰りの新幹線で……」と期待以上の具体例が飛び出してくる。本誌に掲載された原稿には名波の言葉が最も多く出てくるのだが、その背景にはそんな事情があり、むしろこちらも名波の証言に頼った。

「俺は今日よりも明日、もっといい選手でいたい」

 ただ、藤田の数少ない言葉には不思議な魅力があった。記憶の糸をたどって事実を探るのが難しくても、考え方やポリシーに話が及べば言葉は溢れてくる。

「俺は別に、何が最高かっていう感覚はないんだよね。それよりも明日、俺は今日よりもっといい選手でいたい。もっとうまくなりたい。それしか考えてこなかったから」

「偉そうに聞こえるかもしれないけど、過去のことにはあまり興味がない。それよりも、俺はこれからどうしたいのか、人がどうしようとしているのか、そういうところがすごく好きなの」

「俺はこういう感じ。名波はああいう感じ。違うタイプの人たちが一つのものを作り上げようとするから面白いと思うんだ」

「記憶とか思い出って、引き出しの中には入ってるんだろうけど、俺の場合、細かいファイルの整理ができてないんだよね。だから引き出せない。ファイルは捨ててないんだけど、箱が大きすぎるから。それが性格なんだと思う」

J2の良さは認めつつも、「やるからには上がいい」。

 それからもう一つ、「余談だけど」という前置きの後に続いた言葉はとても印象に残っている。その言葉は、ロアッソ熊本、ジェフユナイテッド千葉と自身が歩いてきたJ2の道を否定しているかのように聞こえたからだ。しかしそれは否定ではなく、もっと純粋な藤田の願望であることが、日を改めてようやく理解できた。

「J1とJ2は天国と地獄だって、みんなに言ってるんだ。『そんなに変わらない』って言う人もいるかもしれないけど、俺にとっては天国と地獄。理由は単純なんだよね。J2で経験できることのほとんどは、J1でも経験できる。もちろん、J2にはJ2の良さがあるよ。でも、俺は、やるからには上がいい。常にトップでやりたい。そういう性格なんだよね」

 この言葉が、藤田俊哉というサッカー選手のポリシーであり、プライドを表している気がした。

【次ページ】 引退の決断は「新しい挑戦をしたいという直感に従った」。

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