黄金世代、夢の行方BACK NUMBER
なぜ加地亮は代表を引退したのか?
消えぬ情熱とブラジルW杯への夢。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byTakamoto Tokuhara/AFLO
posted2010/05/17 10:30
日本代表の引退発表後、その言葉どおりガンバ大阪でACL優勝を果たし、クラブワールドカップでも活躍した
胸の中でくすぶりつづけるワールドカップへの思い。
では、ワールドカップへの未練がなくなったからなのかと言えば、そうではない。
「ドイツW杯は、あまりW杯という感じはせんかった。妙な緊張感はあったけど、自分の感覚的には海外の国際試合のひとつみたいな感じやった。ただ、試合はホンマにしんどかったね。ブラジル戦なんて、どれだけ走んねんって感じで走らされたし、何もできんくらいに相手が巧かった。W杯の試合は、しんどかったしもうええかなと思ったけど、オシムさんのサッカーは面白かったからね。ジーコの時よりもきついけど、ただ走るんじゃなく、走りの質も要求している。仕事の質がひとつ上がったからね。そういう質が上がれば、もっといいサッカーができると思うから、それやったらW杯に行きたいねって」
しんどい仕事に少し面白さが加わった。仕事の楽しさを教えてくれたオシム監督の下、このまま南アフリカまで、その仕事を全うするだろうと思っていた。もっとも加地自身は、いつもの調子で「先のことは分からない」と、淡々としていたのだが……。
代表復帰が囁かれても、加地が翻意することはなかった。
ところが岡田監督に代わり、内田篤人が右サイドバックのレギュラーになった。ポジションを失い、代表とクラブの両立が精神的にも肉体的にも厳しくなっていった。ドイツW杯後に「代表継続か、クラブに専念か」を迷っていた加地は、「ここが引き際」と考えるに至り自ら代表を去る決意をしたというのである。
今年3月、内田が嘔吐や故障が続くことで体調面を不安視した代表スタッフが加地に復帰要請したとの情報が流れた。内田の状況を見かねたというのもあるだろうが、豊富な運動量と守備力が高い加地に白羽の矢が立ったということも理解できる。もしかしたら加地の育ての親である原博実技術委員長の進言も、あったのかもしれない。
世界との戦いは、アジアとは次元が違う。特に守る時間が多くなるW杯では、辛抱強く守って、サイドを上へ下へと常に動き続けるスタミナが必要だ。加地は、その能力に長けるのと同時に国際経験も豊富である。ベテランとして様々な状況に対処できる力も持ち合わせている。そんな選手が最近になってクローズアップされるのは、むしろあまりにも遅かったと言える。
しかし、徐々に周辺が騒々しくなると加地は、「自分のところには何も来てないよ。そもそも来るわけないでしょ。それよりもウッチーがかわいそう。いい加減、代表に集中したいのに、俺とかいろんな名前が耳に入るとストレス感じるだろうからね。とにかく、復帰はないっすよ。今から戻っても、しんどいからね」と、代表復帰報道を一蹴していた。