濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
石川直生が“ヒジ”を封じて復活!
格闘技団体間ルールを越えた覚悟。
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byTakao Masaki
posted2012/06/18 10:30
6月8日、後楽園ホールで行なわれたKrush.19。石川直生(写真右)は前RISEスーパーフェザー級王者・板橋寛に対して、キックはもちろん、右ストレートを効果的に使い、3-0での判定勝利を収めた。
格闘技と他のスポーツの大きな違いは、団体とルールの多様さだ。世界的な統括機関がないジャンルゆえ、各団体が独自にルールを設定。そのことがおもしろさも分かりにくさも生んでいる。
たとえばMMA(総合格闘技)の試合場には、リングもあればケージ(金網)もある。グラウンドでの蹴り技を認める団体、禁止する団体。階級もキロ単位とポンド単位で微妙に違う。
立ち技格闘技にも、大きく分けて2つの流れがある。ヒジ打ちや相手を両手で掴み、崩してからのヒザ蹴り(首相撲)を認めるムエタイ・キックボクシング系ルールと、ヒジ禁止・掴み限定のK-1系ルールだ。前者は多彩な攻防を、後者はアグレッシブな殴り合いをうながすルールと言っていいだろう。
同じ“殴る蹴る”の競技でも、少しのルールの違いで闘いの様相は大きく変わる。それに対応できる選手もいれば、ポテンシャルを発揮できなくなってしまう選手もいる。その典型が、石川直生だった。
ヒジあり/なしのルールの違いで陥った負のスパイラル。
石川は全日本キックボクシング連盟でスーパーフェザー級タイトルを獲得。切れ味鋭いヒジ打ちが得意な選手だった。ヒジ打ちありの“(K-1とは違う)キックボクシング”にこだわりを持っていた。
だがK-1に軽量級部門ができると、「軽量級のキックボクシングを世に出したい。自分がその役割を担いたい」と“メジャー”への野望を抱く。同じ時期に全日本キックが解散、宮田充興行部長がK-1ルールの流れをくむヒジなしルールのイベント・Krushを旗揚げし、石川もそこを主戦場とすることになった。
2009年に開催された『Krushライト級GP』で、石川は目覚ましい活躍を見せた。得意技のヒジ打ちが使えない代わりに、奇跡的なタイミングで放つハイキック、飛びヒザ蹴りで逆転KO勝利を連発。決勝戦は負傷棄権することになったものの、トーナメントで最も輝いたのは石川だった。
とはいえ“奇跡”は長く続くものではない。その後の石川は苦しい闘いを強いられた。2010年、念願のK-1参戦を果たすも2回戦敗退。Krushの初代王者を決めるトーナメントでも、1回戦で判定負けを喫した。かつて奇跡的な勝利をもたらした飛びヒザを空振りし、着地した瞬間にカウンターのパンチを食らってダウンしたのだ。