ブンデスリーガ蹴球白書BACK NUMBER
リーグもカップ戦もCLもすべて2位。
バイエルンはなぜ勝てなかったのか?
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byBongarts/Getty Images
posted2012/05/26 08:01
チャンピオンズリーグ決勝でも地の利をいかせず、消極的な采配に終始した老将ハインケス。
栄光の戦績を誇るハインケス監督だったが……。
ファンハールは若くて才能のある選手を見出し、彼らを大きく成長させたものの、自身の望む戦い方を選手に押し付けて反感を買うことも少なくなかった。
一方でハインケスは、かつてはブンデスリーガのスター選手だったこともあり、選手たちとの軋轢は少ない。チームを強くする手腕には物足りなくても、レアル・マドリーを率いてCLを制覇し、'80年代から'90年代にかけてはバイエルンを指揮してブンデスリーガで優勝を果たした実績もある。
ドイツ代表をはじめ各国のスター選手がそろっているために、ハインケスがチームの成長をうながさなくとも、持っている力を発揮すれば、国内タイトルはドルトムントから奪還できると踏んでいたのだろう。
シーズン前は監督から選手に至るまで、今季の目標についてこう口をそろえていた。
「マイスターシャーレをドルトムントから奪還することだ」
結局ハインケスがバイエルンでしたことは何だったのか?
実際、ハインケスは、ファンハールの作ったチームをそのまま引き継いだ。かつてヘーネス会長に「バイエルンには2トップがふさわしい」と批判された4-2-3-1のフォーメーションを継続。
67歳の指揮官が手を加えたことといえば、レバークーゼンの監督時代に手塩にかけて育てたクロースを重用することと、ファンハール政権下では右サイドバックを務めていたラームを、左サイドバックに戻したことくらいだ。
もっとも、豊富な運動量と的確なオーバーラップを見せるラームが左サイドに回ってしまったことで右MFのロッベンが調子を落としてしまい、シーズン途中にはラームを再び右サイドバックに戻すことになった。代わりに左サイドバックのレギュラーに抜擢したのが、本職がMFのアラバだったが、アラバのサイドバック起用を最初に考えたのも、そもそもはファンハールだった。
現在のチームにおいてファンハール政権下でトップチームに引き上げられたのは、ミュラー、アラバ、バドシュトゥバー、コンテントの4人(うち3人は現在のレギュラー)に対して、ハインケスが引きあげた選手は1人もいない。