F1ピットストップBACK NUMBER
私が目撃したバーレーンGPの真実。
マスコミ発表と現地体験のズレとは。
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byMasahiro Owari
posted2012/05/06 08:01
封鎖されている街のはずだったシトラで見かけたF1反対運動の張り紙。
火炎瓶を投げ込まれそうになったチームスタッフも……。
ところが、グランプリ開幕直前の水曜日の夜に、事件が起きた。それはフォース・インディアのスタッフを乗せた4人乗りの4WD車が、デモ隊が投げたと思われる火炎瓶にあわや激突するところだったのである。
その翌日にも、ザウバーのスタッフを乗せた12人乗りのミニバスが高速道路で、火炎瓶が落ちて炎上していたためにできた渋滞に遭遇。低速走行でその最後尾に近づこうとしたところ、反対側の車線から覆面をした集団が走って来ようとしていたため、急いで渋滞している列から車線を変えて走り去り、難を逃れた。
この事件の影響を受け、フォース・インディアは2人のスタッフが帰国。またフリー走行2回目を中止して、明るいうちにサーキットを出てホテルへ帰らなければならなかった。また、チームによってはF1関係者であることが悟られないようユニホームから私服に着替えてホテルとサーキットを往復していたところもある。取材陣の中には、反政府側が行ったと思われる路上での放火活動を目にした者もいた。
普段のレースとは違う緊張感が漂っていた3日間。
バーレーンGP初日となった4月20日にも、マナマ西部で大規模な反政府デモが行われた。いずれもF1に携わっている者に実害が出たという報告は受けていないが、程度の差こそあれ、パドックにいつもと違った緊張感が漂い、その中でみんなが3日間、戦っていたことは確かである。未確認ではあるが、あるチームはバーレーン入りしてから、宿泊先をマナマ市内からサーキット近郊のホテルに移動させていたという話もある。
それでも、この国でFIAがバーレーンGPを開催すると決定し、果たして3日間無事に終えることができたのは、一部のシーア派による反政府活動がごく限られたエリアで、限定的に行われているからではないだろうか。
私は地元の人に聞いて、決勝レース翌日、反政府勢力のシーア派住民が住むと言われているシトラという街へ車を走らせた。街の入口には確かに警察車両が10台ほど停まっていたが、一部で言われているような「街が閉鎖されている」という状態ではなく、私も検閲などを受けずに、自由に街の中に入ることができた。至る所に「STOP F1/NO Bahrain GP」のビラが貼られていたが、グランプリ翌日にもかかわらず、街の中で集会やデモ活動はいっさい行われていなかった。