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チェルシー優勝への原動力、
フローラン・マルダの「覚醒」。 

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山中忍

山中忍Shinobu Yamanaka

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photograph byAction Images/AFLO

posted2010/04/16 10:30

チェルシー優勝への原動力、フローラン・マルダの「覚醒」。<Number Web> photograph by Action Images/AFLO

ウェストハム戦でゴールを決め、お得意のポーズで喜ぶマルダ。得点だけでなく左サイドでのドリブルやクロスでもチームに貢献する

 4月3日、チェルシーがマンチェスターUとの頂上対決で勝ちを収め、ほぼ1カ月ぶりにプレミアリーグ首位に立つこととなった。最終スコアは僅差の2-1だったが、前後半に1点ずつを奪ったチェルシーが勝つべくして勝った試合だったと言える。

 もちろん、マンUには直前の3月30日にCL準々決勝第1レグでバイエルン・ミュンヘンと戦った影響があった。アウェイゲームでの疲労、逆転負けによるショック、そしてウェイン・ルーニーの負傷。片や、チェルシーはCLでのベスト16敗退が幸いし、中1週間と万全の状態で首位攻防戦に臨んでいた。

 しかし、チェルシーが実際に優位を示すことができた一番の理由は、マンUにルーニーがいなかったからではなく、チェルシーにフローラン・マルダがいたからではないだろうか。先制点のアシストを含め、前半に敵を圧倒したチェルシーのビルドアップには常にマルダが絡んでいた。チームが守備を意識した後半にも、カウンターの担い手としてマンUに手を焼かせた。スコアシートに名を連ねることはなかったが、オールド・トラッフォードにおける一戦のMVPは、3トップの左サイドで先発したマルダだった。

 今シーズン後半戦でのマルダの活躍には目を見張るものがある。メディアには「生まれ変わった」と評されているほどだ。実際、開幕前の時点で、チームの原動力となるマルダの姿など想像することすらできなかった。それどころか、先発レギュラーとしての期待すら持たれていなかったと言ってもいい。

移籍直後の“青天の霹靂”で先発出場の機会が激減。

 2007年7月にリヨンから移籍したフランス代表MFは、同年のリーグ1最優秀選手に選ばれた資質を見せることはできずに、チェルシーでの最初の2シーズンを送ってきた。

 本人が移籍を決意した最大の理由は、当時の監督だったジョゼ・モウリーニョの存在だった。だが、敬愛する指揮官は、2カ月後の9月にチェルシーでの職を追われてしまう。青天の霹靂にショックを隠せず、「孤児になったような気分だ」と語ったマルダはクラブ経営陣の顰蹙を買った。精神面のダウンでパフォーマンスも上向かなかった。後任となったアブラム・グラント、続くルイス・フェリペ・スコラーリ両監督の下で先発の機会が減ると、マルダの口からは、「出場時間が少なすぎる」、「ビッグゲームで使ってもらえない」など、不満ばかりが聞かれるようになった。ファンの間では、ウィンガーならぬ「ウィンジャー(whinger/泣き言をいう者)」と陰口を叩かれるようになった。プレーではなく、頻繁に変わる髪形で観衆を沸かせることの方がはるかに多かった。

【次ページ】 自信とモチベーションを回復し、周囲の信頼をも取り戻す。

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