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F1界で輝き続ける日本人たち。
元ブリヂストンの浜島がフェラーリへ! 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph bySutton Motorsport Images/AFLO

posted2012/01/28 08:01

F1界で輝き続ける日本人たち。元ブリヂストンの浜島がフェラーリへ!<Number Web> photograph by Sutton Motorsport Images/AFLO

2009年、フェラーリのテクニカルディレクターであるアルド・コスタ(当時)と会話する浜島裕英。浜島の優れた資質は、フェラーリだけでなくブリヂストンのタイヤを使用する全てのチームが認めるところだった

モンテゼモロ会長直々の要請に移籍を決意。

 ここまで熱心にアプローチされ、ついに浜島の心にも変化が起きる。とはいえ、この時点ではまだ決定するまでには至っていなかった。浜島には会社の業務のほかに、気になっていたことがあったからだ。それは同居する両親のことだった。浜島は妻に先立たれており、高齢の両親の面倒は自分が見なければならないという責任感があった。そんな心配する浜島の背中を押したのは、母親のひと言だった。

「あなたの残り少ない職業人生の邪魔をするつもりはないから、さっさと行きなさい」

 もう一人、浜島の心を動かした人物がいた。それはフェラーリ会長のルカ・モンテゼモロである。

「マイケル(シューマッハー)がいたころ、一緒に戦った仲じゃないか。もう一度、やろうじゃないか」

 '81年から31年間、人生の半分以上をモータースポーツに捧げ、しかも頂点を目指して戦ってきた浜島が、もう日本にとどまる理由はなかった。昨年12月にフェラーリの契約書にサイン。'94年の後藤治(元ホンダF1プロジェクトリーダーで、その後マクラーレンを経て、'96年までフェラーリに在籍)以来、フェラーリに日本人エンジニアが誕生した瞬間である。

“生涯ブリヂストン”を翻意したからには頂点を目指す。

 しかし、浜島の目の前にはさまざまな困難が待ち受けている。

 加入したフェラーリは、'10年にレッドブル、マクラーレンとともにタイトル争いを繰り広げながら、昨年まさかの1勝に終わるという大不振に陥っていることだ。さらにそのチームは昨年中盤に大きな組織変更を行ったばかり。ブリヂストン時代に浜島が共に栄光を手にした戦友の多くは、すでにチームを離れているのである。

「皆さんは『私が入ればフェラーリはタイヤの使い方がうまくなる』と思っているようですが、一人の人間が入って、突然タイヤの使い方がうまくなるほど、F1チームは単純ではありません。私が考えていることと、チームが期待していることが必ずしも一致するわけではないですから、ある程度の時間が必要。だから、契約するときもパフォーマンス条項(チームが課したノルマに対しての)などの細かな条件は、かなり両者で話し合いました」

 浜島のフェラーリとの契約は2年。フェラーリでの新しい役職は、ビークル&タイヤインタラクション・デベロップメント。車体とタイヤの相互関係を開発する役割を担う。

「もちろん、目標はフェラーリを再びチャンピオンに復活させること。厳しい挑戦になると思いますが、やるからには頂点を目指したい。だって、そのために会社を辞め、日本を離れるんですから」

 そう言って日本を発った浜島は、到着したその日からフェラーリでの仕事を開始した。

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